人は誰もがトラウマを抱えて生きていると思う。

 

私も様々な要因でトラウマはある。

 

でも私は自分の精神に他者が強く根付いてるのは認めたくないし、認めない。

 

まるで自分が誰かの思い通りに存在していると思ってしまう程に、影響を受けたくないし精神に居着かせたくない。

 

それでも、居る。それがトラウマなんだとも思う。

 

凄く些細な事。

 

例えば、普段人が当然のように、自分もそうだけれどご飯を食べるという行為。

 

他者と一緒は無理。

 

理由は明白、逃げられないから。

 

これは父親と呼ぶ事すら違和感を催す、存在が強く起因している。

 

自分の思い通りにならないと、夕飯中でも何処でも家族と呼ぶ(のも違和感な)母親と姉と私だけならば、要するに閉鎖された自分が一番偉いと過信するに至る存在の前では、癇癪を起こして大声で怒鳴る、物を投げる等していた人間。

 

そんな人間と一緒に過ごしていれば、店でも何処でも同じ。物音があると神経は過敏になるし、精神は恐怖で塗り潰される。

 

不注意で物が落ちた音、他人同士の些細な諍い、その全てで息は詰まるし、脳内では父親の怒声が聞こえる。

 

自分のアレルギーは誰かと食を共にする事を拒絶してるんだと思ってる。逃げられない場所から逃げる救いかもしれない。

 

コーヒーの匂いは警察に行ったストーカーを思い出す。

 

母親はコーヒーが好きでよく飲むけれど、私はそれが嫌悪というか、香りこそが恐れ。だからコーヒーは飲めなくなった。

 

特に呼気にコーヒーの匂いが混ざっていると不愉快で恐ろしい。

 

背後に人間の気配があっても、棚の隙間も、一瞬でも目が遭った男も、全てが嫌で堪らない。

 

中学の頃家の近くまで付いて来た男も、大学の時教室やバスまで追って来た男も、ゲオ時代警察に行くまでの発展したストーカーも、その後朝コンビニからバイト先まで監視してきたストーカーも。

 

全部自分が悪いんだと思った。

 

自分の容貌がダメだと思った。

 

だからそこに理由を付ける為に、黒服を着てピアスを開けて、近づきがたい雰囲気を作った。

 

それでも、駅で声を掛けられる度に、まだ足りないと思った。

 

イベントで東京に行った時も、県内の駅で声を掛けられたし、何で私なんだろう。

 

そのイベントに行った結果、「可愛いって聞いて」としきりに話をしてきたのも何で私なんだろう。

 

その誘いはイベントに行った後から、コーヒーの呼気は一昨日、そして昨日ゲオに行って、完全にまずい事になった。

 

過呼吸を起こしたわけでもないのに酸欠みたいに頭が白くなってる。

 

トラウマという単語を調べてもフラッシュバックという単語を調べても、当て嵌まらない。

 

心理学の本は読んでるから一概に全ての物事を記すわけではないのは知っているから、きっとこれがトラウマでありフラッシュバックなのかと妙に納得しつつ考えるようにした。

 

ただし、思考と精神は別だという事も理解している。

 

解離性人格障害はなんとなくあるし、統合失調症もなんとなくあるし、躁鬱もなんとなくある。

 

だからといって精神科に通うのも癪。

 

まぁ、自分は自己責任が全てだと思っているから何をしても良い。

 

他人に迷惑を掛けるのは面倒臭いから生きているだけ。

 

さて、このトラウマやらフラッシュバックやらは生涯治らないと思ってるのでなんとも生き辛い世の中だね。

 

姉は心療内科で薬を処方して貰ってるけど、私はこの歪んだ理性を治す物はないと思ってる。

 

いつかブチ切れて、ゴスロリで深夜徘徊して、警察の人に迷惑掛けたら全力で土下座しようと思います。

 

とりあえず、免許証は出したくない(笑)