あの業界から足を洗うタイミングとなりました。
「もう、あんな家には、二度と帰らないですよ。」
と、
言うことのできる状況になりました。
そして、
ちょうど
ルカ15章にあるとおりのことが私の身に生じてきた、
そのような感じがいたします。
ルカ15章17節には、このように記されています。
本心に立ち返った時,彼は言いました,『わたしの父のところでは実に多くの雇い人にあり余るほどのパンがあるのに,わたしはここで飢きんのために死にそうなのだ。
わたしも「本心に立ち返(り)」ました。
30年ほどの期間、まるで、夢の世界で生活しているかのように、
業界内の、霊的な事柄の追求にふけっておりました。
しかし、今や、あの業界の霊的な実情を痛感するようになり、
こうして、出てくることができました。
もう、けっして、あの業界に帰ることなどありません。
18節-19節
立って父のところに旅をし,こう言おう。「父上,わたしは天に対しても,あなたに対しても罪をおかしました。わたしはもうあなたの息子と呼ばれるには値しません。あなたの雇い人の一人のようにしてください」』。
わたしも、実家に戻って父に、今までの事を謝ろう、と思いました。
いかに自分が、父親にとって、残念な息子であったか・・・
息子にまっとうな日々を送ってもらいたいという父親の願いに対して、
いかに、かたくなであったか・・・
家族思いの父親であれば誰でも、我が子のすこやかな成長を心から願うはずです。
私の父親も、息子が中学生になったら、あるいは、学生気分が抜けたら、
社会の厳しさを味わうようになれば、
家庭を持つ責任を考えるようになったら・・・
いつかは、
きっと、いつかは、気がついて、戻ってくるのではないか
と期待していたはずです。
私は、そのたびに、
なんどもなんども、父親の期待を裏切ってきました。
20節-21節
そこで彼は立って父親のもとに行きました。彼がまだ遠くにいる間に,父親は彼の姿を見て哀れに思い,走って行ってその首を抱き,優しく口づけしたのです。その時,息子は言いました,『父上,わたしは天に対しても,あなたに対しても罪をおかしました。わたしはもうあなたの息子と呼ばれるには値しません。あなたの雇い人の一人のようにしてください』。
あらかじめ大事な話をしたい、と伝えておいて
実家にかえりました。
エホバの証人をやめる事、もう二度と、あの世界に、もどるつもりはないこと、
これまで、心配をかけてきた生き方を、反省している事、
今さらでは、あるが心から謝りたいと思っていること
を話しました。
父は、ただ、聞いていてくれました。
そのうち、私の言葉に、涙が混じるようになってきました。
許してください。
どうか、許して下さい。
何度でも、謝ります。
いいたい事、いわなければならない事が、まだまだあるはずなのに、
どうしても、話を続けることができません。
涙がぽろぽろこぼれ落ちてきて、
とまらなくなってしまいました。
しばらく間があって、
「もういいっ、過ぎたことだ。」と父は強く言いはなち、
そして
「これからは、お前の家族のために、頑張っていけばいいじゃないか」と続けました。
22節-24節
しかし父親は自分の奴隷たちに言いました,『さあ早く,長い衣,その一番良いのを出して来てこれに着せ,その手に輪をはめ,足にサンダルをはかせなさい。それから,肥えさせた若い雄牛を連れて来てほふるのだ。食べて,楽しもうではないか。24 このわたしの息子が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのが見つかったのだ』。こうして彼らは興じ始めました。
その日は、そのまま、一緒に夕食を食べましたよ。
父親は、普段とまったく変わらないようすでしたが、食卓は、いつもより、かなりごちそうでした。
こうして、
長い間、放とう息子であった私は、とうとう戻ってくることができました。