水原一平さんのあの一件があって以来、また「依存」について考えることが多くなりました。
元夫Gが薬物依存の経験者であることはもうご存知だと思いますが、当時、私の心に残った言葉がありました。
あれはまだ離婚する前だったか、もう離婚した後だったか、定かではないんですが・・・ある日、歌のレッスンに行ったら師匠のSamが、電車でGを見かけたと言ったんです。そんなことからGの話になりました。SamはGと面識がありましたし、Gの薬物依存のことも私たちの状況も知っていたので、なんでもぶっちゃけて話ができる人だったんですね。
当時の私は、自分のことを「夫の薬物依存に振り回された被害者」だと思っていたので、「もうほんとに・・なんでドラッグなんかやるんだか!」と怒っていたらSamが、
「でも俺たちだって音楽に依存してるじゃないか。
ドラッグ依存と、何が違うんだ?」
と言って笑いました。私もそれ聞いて笑いました。
めっちゃSamらしいギャグだったんですけど・・・同時に、真の問いかけでもありました。
本当に、何が違うんだろ?
法に触れるか触れないか?
自分の体や自分らしい生活を害するか害さないか?
じゃ、自分らしい生活って何?
いったい何をもって、自分の人生が機能してるか機能してないかを判断するのか?
何かに没頭して成果をあげ、その分野で大きな地位を築き賞賛されたけど、周りの家族は大変だったなんて人、ザラにいるじゃないですか。あれは依存症と何が違うの?
それがなければ死んでしまったであろうほど、ある時点の自分を支えてくれたものに依存した、という点では、全く一緒なのでは・・・?
結局、社会というものがあるから、社会という物差しをベースに、善悪が決まっていくだけじゃないのか?
じゃ、その物差し自体は、果たして絶対的に正しいのか?それとも・・・?
掘り下げていけばいくほど、分からなくなってきます。
だけど・・依存症であることと、人間自体の良し悪しは、全く関係がない。
これだけはわかる。
これがわからないで、依存症により犯罪をおかしたり世間を騒がせたりした人を非難するのは、単なるいじめだ。
薬物依存に関する思いをいろいろ書いてます。
ご興味あれば是非読んでください。