女性は中世のマリー・アントワネットなど貴族階級社会の時代から

 

女性として魅力的であること、

魅力的な恋人、

魅力的な結婚相手である自分

 

娘としての自分でい続けたい。

 

母になることは、自分の人生(青春)が終わる

つまり死んでしまうのと同じことになるのです。

 

母親になることへの拒否の意思表示が出てきました。

それは、結婚して子どもができても父親の自覚をもとうとしない

男性と同じものです。

 

 

今の時代、子どもの姉といわれて喜ぶ母親が増えています。

(それを逆手に利用して、娘が母に自分が着たい服を「ママ用」

といって自分が着るために購入させるツワモノもいますが)

 

正直、痛いです・・・。

過去、「キレイで可愛いママでいて」と子どもに言われたので。

 

 

母親は自然に生まれた存在ではない。

女性に母親の役割を押し付けるのは大変なことでした。

 

赤ちゃんに母乳を与えれば乳房の形が崩れる。

子育てをすれば遊ぶ時間がなくなり、パーティーに参加できない

容姿の衰えが急速化し、性的魅力もどんどん失っていく。

 

女と母親は矛盾した存在で両立しない。

まさに二者択一です。

 

昔の女性たちも同様に母親になりたがらなかった。

中世・ルネッサンス・近代で捨て子や里子は多かった。

子どもに関して全面的に無関心でした。

 

産業革命後、労働の担い手となった男性が女性に

子どもを育てることは楽しいことだと幻想を植え付けました。

それでも拒否すると厳しい罰則を下し、生きる道がないところまで

追い詰めました。

 

そうとうな無理を押し付けた結果、女性たちも諦めて引き受けるようになり、

女性は母になり子を育てる幻想が定着したのです。

 

 

昭和30年代、パートタイマーの低賃金で母親も働くようになり

必然的に「鍵っ子」が誕生しました。

そうすると、

母親の役割は女性に押し付けるものじゃないという矛盾が

またあらわれてしまったのです。

 

 

 

母親が子を育てる動機に、「自分の老後の世話」をしてもらえると

いう期待がありました。

 

しかし、その幻想もなくなってしまった。

 

現在でも平気で

「子どもたちから毎月お小遣いをもらって生活する」

と言い切った方がおられます。

 

 

子育てはある程度の楽しみ・意義・価値があればよいでしょう。

ところが親は醜く老いて死ぬ、将来性のない人間を苦労して世話するのは、

あきらかに子育てより心理的に無理があるのです。

 

「親孝行、したいときに親はなし」が現代の医療技術により長寿になったため、

負担の重さに耐えかねてしまうのです。

介護って、目が離せなくなるので時間的余裕がなくなり

ストレスが溜まっていき、いつもイライラして他人に八つ当たり

してしまう事もあります。

 

しかも肉体労働なのです。

介護は専門家に任せましょう。

 

 

育児のときに、

「自分が子ども時代、親にこういうことしてもらえなかったなぁ」

など、

自分と重ねてしまうこと、ありませんか?

 

つい、口に出して言ってしまう。

そのうっかりが子どもに向けての言葉ではないのに、

子どもからすると、プレッシャーを与えていると感じるのです。

 

「そんなこと言われるのはイヤだ」

と言ってくれればよいのですが・・・。

 

 

歴史から辿った女性の結婚、理想の母親像の夢やぶれて、

我が子(特に娘)をコントロールする理由や

娘の子育てで孫に影響を与えてしまう世代間連鎖の流れを書いてみました。

 

わたしは子どもに暴力・暴言を吐いて虐待してないけど、

虐待親から受け継いだ価値観によって

悪影響を与えてしまったのではないかと思います。