人に少しだけ、失礼な扱いをされた時、
いつも、私は見て見ぬふりをする
そしたら、その後
イライラすることが多い
今日もそんなことがあった
テコンドーの先生が私より下の階級の子を
上の位置に並ばせた
私は、数ヶ月休んでいて
彼女は、数ヶ月一生懸命参加していた
ただ、この並びは、ベルトの階級順だ
それなら、私が彼女より先に並ぶべきだし、
私が休んでいたことを理由に、
彼女より下位に並ぶなら、白帯の人よりも
下でも良いはずだ
なのに、中途半端な格下げをされたと
感じた
なぜ、私がその順序に並ばされたのか
師範にテキストで質問した
この答えは、そのうち返ってくるだろう
これは、師範への批判に見えるとは思うが
根っこは、私が自分の不快を無視することに
慣れてしまっているという気づきである
なぜ、納得できるまで確認しなかったのか
なぜ、不快だと悲しんだり、怒らなかったのか
自分の声を無視する癖がまだまだある
そして、このように振り返り、反省してしまう癖も。
ただ、自分に悔しかったね、嫌な思いしたねと
寄り添うだけでよいのだと
この文章を書いていて、感じた。
“自分の声を自分が聞く。”
簡単なようで難しかった。