「その窓からは何が見えるのかね?」

電車の向いの席に腰掛けた老紳士が私に尋ねた。
「なんてことは無い風景ですよ。」

なんてことはない、ただの暇つぶしだ。そう思って彼の問いに答えた。

「そうか。」

そう呟くと老紳士は窓から流れこんでくる風をうれしそうに頬で受けた。

その表情はとても穏やかで私は、なんとは無しに彼の問いに答えてしまった自分を恥じた。

「どうかしたのかね?」

よく見れば彼の色眼鏡の奥の瞳は濁っているようだ。きっと何も見えていないのであろう。

「いえ。」

私はそう告げるとゆっくりと席を立った。彼に気付かれないように。

「ありがとう」

彼は見えていないはずの目で私を捉えた。その目は色眼鏡を通してもわかる、不思議な美しい目だった。

「すみませんでした」

私はそう告げて車両を去った。

彼はそれを生前は見えていなかった目でしっかりと捉え、そっと、消えた。