悪性脳腫瘍、膠芽腫で大切な母を亡くしました。家族としての立場で考えたことを記したいと思います。今から闘病する方、支える方の参考になれば幸いです。


0.長い前書き


母の闘病時期は2014年末から2018年夏です。(あと数年も経つと画期的な薬ができていて、このブログがなんの参考にもならない状態がきているといいのですが)


同じ膠芽腫であっても悪性度や場所によっても経過は変わるでしょうし、タイミングによっては同じ治療をしても必ず奏功するわけではないでしょう。脳腫瘍の場合、腫瘍内出血を起こしたりすると、あっという間に命が失われることもありますので、転院やセカンドオピニオンを得る時間や移動も命取りになる可能性があることを、熟慮しなければなりません。


また、私は医療関係者ではありません。一患者家族としての経験、思い、考えであることをご理解の上、読み進めてください。



1、治療は最先端の知識と情報を持つ病院で。


母は発病時、救急車で二次救急の脳外科に運び込まれ手術はできないと言われ、三次救急の脳外科に転院し手術、治療、その後再発。再発のタイミングで、できることはもうないと言われ、大学病院に転院し抗がん剤、最期は脳外科のある療養病院で迎えました。


おおまかにいうとこのような流れですが、自宅から痙攣で救急車で運ばれたり、老健に入ったりと、さまざまなところで医師と話をする機会がありました。


その度に驚いたのは、著しい知識レベルの差です。脳外科医であっても、膠芽腫というと死を待つのみの病気と考えている人が多く、アバスチンが保険適用になっていることさえ知らない医師もいました。テモダールで生存期間が延びていることも知らず、膠芽腫で再発しているのに元気に冗談を言う母を見て信じられないと言ったり、治療よりも看取りの話をしている医師もいました。


また、現段階では手術、放射線、テモダールが標準治療ですが、母の闘病と同時期にインターフェロンやニドランが投与されている方を闘病記で見ることがありました。母は投与されていませんでしたので、何人かの先生に質問したところ、効果がないことがわかったので今は使用していません、いまどきやっているところなんてないと思いますよ、という答えでした。副作用がゼロならいいですが、副作用のリスクがあるにも関わらず、効果もない薬を投与されるなんて酷い話です。


さらに、母の場合、手術後のテモダールでアレルギーが出て投与を中止されましたが、大学病院ではDLSTで検査をして抗がん剤の投与を再開し、膠芽腫の進行を抑えることができました。しかし、手術をした病院の医師は、その選択をしなかったのではなく、知らなかったのです。私たち家族がセカンドオピニオンを得るために動かなければ、母はとっくに亡くなっていました。


その他にも驚くような、レベルの差を目の当たりににすることが度々ありました。


膠芽腫は完治する治療方法が定まっていない病気です。治療方法が定まっている病気であっても、技術が高い病院で治療する方がベターですが、治療法が定まっていない病気であればなおさら情報がアップデートされていない医師のもとで治療をすることは生死に関わります。


したがって、治癒を目指して膠芽腫と闘うのであれば、最新の知識と情報と技術を持っている大学病院やがんセンターで治療をすることが肝要であると思いました。



2.終末期。本当に終末期?


上記したとおり、膠芽腫と診断されるともはや死は間近といった扱いをされることはしばしばでした。しかし、膠芽腫を研究している大学病院の先生とお話すると、少しでも生きられるように色々と考えて対応してくださいました。


したがって、どこからが終末期か、本当に終末期なのかは判断が難しいところだと思います。母の執刀医は再発を見つけた段階で、終末期です、治療はしないです、と判断したわけですが、そこから2年半生きたわけですから、手術執刀医が終末期とした判断は全くの誤りだったわけです。



終末期だと診断されても、本当に終末期なのか疑ってみることが必要かもしれません。



母の場合は生きたいという気持ちが強く、家族としてもそれを支えたいという気持ちがありましたので、セカンドオピニオンを得て別の病院で更なる治療をしました。治療が奏功し母はその後もお友達に会ったり、私たちと出かけたりすることができたので、手術執刀医の判断を信じずに動いて本当に良かったと思っています。


次に、栄養摂取の話。

食べられなくなったら終わり、という言葉にも脳腫瘍の場合注意が必要だと思います。たしかに老衰であれば、食べられない局面が来たら終わり、と見切ることも必要でしょう。


ただ、脳腫瘍の場合、嚥下障害が進み食べられないということもあります。ほかの機能も衰退しているのであれば、命を諦めるほかないでしょうが、嚥下障害で食べられないことのみが問題なのであれば、経管栄養の選択肢もあります。


母の場合、まさにそのパターンで脳腫瘍による誤嚥で肺炎を繰り返し、経管栄養を選択しました。そのおかげで元気を取り戻し、お出かけしたり、喋ったり、冗談を言えたりしましたので、この選択も間違いではありませんでした。経管栄養の選択をしなかったらこの時間がなかったと思うと恐ろしいね、と母と楽しく過ごしたあとに、夫と話すことがありました。結果論でしかありませんが、あのとき経管栄養をわたしが選択していなければ母が楽しく過ごす時間をわたしが奪い、母は栄養を摂取できずただ飢えて死んでいくことになったわけですから、怖い話です。


食べられない時点で、意識もなく、寝たきりでといった場合に、経管栄養の選択は必要ないかもしれません。しかし、本人に意識があり、生きたいという気持ちを表明しているのであれば、誤嚥障害のために、飢えて死に急ぐことはないと思います。医師が膠芽腫ですから、、、と言って何もしてくれない、という場合には、セカンドオピニオンを得るのもひとつかもしれません。


わたし自身は、寝たきりでもなんでもただ生きる時間を伸ばすことが良いとは思っていません。病院の勧めに従い、母のために緩和ケア病棟の登録もすぐに行きましたし、人工呼吸器などの侵襲的な延命治療は望んでいませんでしたし、実際にそのようなことせず、自然に看取りました。


ただ、本人の生命力に少しの力を与えることで、本人が楽しいと思える時間が延ばせるならばできることはしたいと考えていたのです。結果的に、母のためにしたことは奏功しました。


できることはして、最期は無理をせず。


苦しい時間はわずかで、さっと逝くことができ、母にとっても、家族にとってもよい終わり方でした。納得しています。



母が何度も余命宣告を覆し、膠芽腫だからと後ろ向きの医療関係者を数多く見た経験から、終末期じゃないのに終末期になって逝ってしまう方がいないことを願い、この記事を書きました。


何か参考になることがあれば幸いです。


◆私が書いたブログ「悪性脳腫瘍で余命宣告された方、そのご家族に伝えたいこと」もお読みください。

★詳しい病気の経過と現状はこちらの記事をご覧ください★