ウクライナは、軍事力の規模から考えてロシアには勝てない。

だから、ゼレンスキーは、早期にロシアに降伏するか、プーチンに大幅に譲歩してでも停戦に持ち込んだ方がいい

このまま、本土決戦(市街戦)が続くよりは、その方がはるかにマシだ。さもないと、戦闘の長期化によって、あまりにも多くの民間人が犠牲になってしまう可能性が高い。

なんといっても、自国の国土を戦場とする戦争が続くこと以上に悲惨なことはない。ウクライナの為政者は、何よりも国民の命を守ること、戦争を止めることをこそ、第一の使命とすべきだ。

 

テリー伊藤さんと橋下徹さんの主張は、要約すれば上記の内容になると思う。

もっともな考えだと私は思う。

もともと、この2人の政治的立場は180度異なる。橋下徹さんは右派リバタリアンだし、テリー伊藤さんは左派リベラルだ。しかし、なぜか、今回、ウクライナ戦争についての見解では、両者の意見が一致した。

そして、テレビ番組での討論相手だったウクライナ人学者、櫻井よしこさんなどに、猛烈に反発され、ネット上の言論においても、孤立無援の状態で、連日、猛烈な非難を浴びている。

 

私が不思議なのは、上記の主張は、本来なら、この国のリベラルの主流となるはずの当然の論理・主張であり、多くの日本人にとって、違和感が少ない考え方であるはずなのに、なぜ、彼らの主張は、今の日本でこれほどまでに孤立するのか、ということだ。

 

キエフに踏みとどまって、徹底抗戦を国民に呼びかけていることで、ゼレンスキーは、ウクライナのみならず西側諸国民にとっての英雄となった。

それは確かだが、戦後の日本人は、一般にそのような考え方をしてこなかった。戦後の日本人は、国のために自分も命がけで戦い、国民にも命がけで戦うことを呼びかける〝英雄〟には、強いアレルギーがあった

 

平和憲法を大切にする護憲派リベラルの徒であれば、普段通りなら「侵略するより、された方がいい」「殺すより、殺された方がいい」「戦うくらいなら、降伏した方がいい」「愛国心などいらない」と主張しているはずなのだ。

それなのに、今回に限っては、「絶対に降伏しない」「最後まで戦い続ける」と、断固たる意思で戦争を継続するゼレンスキーを、なぜ、彼らが褒め称えるのか、私には訳がわからない。

 

ウクライナでは、ソ連のスターリン統治下でホロドモール(ウクライナ飢饉)が起こり、数百万人が餓死させられた。スターリンの故意による計画的な餓死であったとも言われる。

だから、「死んでもロシアの支配下にはならない!」とウクライナ人は言う。 ロシアに降伏したら、国民は皆殺しにされると言うのだ。

 

しかし、である。

アイルランドでも、イギリスの支配下でジャガイモ飢饉があった。総人口の20%が餓死し、15%が国外に脱出した。

だからといって、北アイルランドの武力解放を目指したIRAが、絶対正義だったわけではない。 

 

中国にしても、数千万人の餓死者を出した大躍進があった。 その後は、多くの文化人・政治家・学者が拷問・虐殺され、軍の武器庫を襲った大学のセクト同士が、我こそが真の紅衛兵であると、大学構内で殺し合った、悪名高い文化大革命が10年も続いた。 元凶は、すべて毛沢東だ。

そして、今だに、中国は毛沢東親派の習近平の天下なのだが、だからといって、今、中国人民の大多数が不幸のどん底というわけではない。 

 

正義は常に相対的なものだ。

 

日本だって、本土決戦を叫んで、竹槍訓練していた頃は、ひめゆり学徒隊の少女が、武器も持たずにアメリカ兵に突撃して撃ち殺されていた。 10代の少女たちが、鬼畜米英に立ち向かって、無惨に殺されたのだ。

当時の日本人にとっては、その無謀な突撃が正義だった。

 

9世紀にノルマンの族長リューリクによって建国されたキエフ公国は、10〜11世紀のウラジミール1世の治世に全盛期を迎えた。ウラジミール1世は、ウクライナ各地のスラブ系部族を征服し、東ローマ皇帝の妹と結婚し、正教会派キリスト教を国教として導入した。

13世紀、スラブ系の大国であったウクライナは、当時世界最強の大帝国だったモンゴルの大軍にキエフを包囲された。降伏勧告を受けても降伏せず、徹底抗戦した末に、キエフは陥落した。このモンゴルとの戦いで壊滅的打撃を受けたことによって、ウクライナは衰亡し、それ以降、700年間、異民族の支配を受けることになった。

 

その一方で、当時の北方の辺鄙な田舎、現在のモスクワ近辺に住んでいたスラブ系弱小部族のロシア人は、戦わずにモンゴルに降伏し、その庇護のもとで、ロシア帝国の基礎を築いた。

自分達が、死力を尽くして戦った仇であるモンゴル人に可愛がられて力を増していくロシア人を見ているのは、異民族に虐げられていたウクライナ人としては、噴飯物の裏切り行為に思えただろう。

こうして、19世紀には、強大となったロシアが南下して、オスマン帝国からウクライナを奪取した。

 

ウクライナが、モンゴル帝国に徹底抗戦したことは、正しかったのだろうか?

 

正しい、間違っている、ではなく、それが民族の血のなせるわざだと言うのなら、それはそうかもしれない。どれほど絶望的な状況であっても死ぬまで戦い続けるのが、ウクライナの国民性だというなら仕方がない。

しかし、どの民族にとっても、歴史から学ぶということは大切だろう。

 

今回、プーチンはウクライナへ侵攻し、侵略者と呼ばれている。

侵攻・侵略は、間違いなく悪である。それは間違いない。けれども、100%プーチンだけが悪いのか、というと、そういうわけではないと思う。

プーチンは絶対悪ではない。プーチンを支持するロシア人の7割も然り。

 

実際、アメリカは、ウクライナへの核配備をちらつかせて、プーチンを心理的に追い詰め、ウクライナ侵攻へと誘導したが、これは、アメリカのお家芸とも言える典型的な他国操作のやり方だ。目的は、ロシアの立場を弱め、徹底的に叩くためだ。この目論見は、見事に成功した。

だから、ウクライナ戦争の責任は、アメリカ・NATOにもあるのだ。

 

例えば、真珠湾攻撃は、アメリカ人にとっては絶対悪だが、日本人からすれば、一概にそうとも言えない。当時、イギリスを助けてドイツを叩きたいローズヴェルトが、日本を石油禁輸措置で締め上げて、日本に対米戦を決断するように追い込んだのは事実だ。そして、「パール・ハーバー」のニュースを、アメリカの大戦参加を実現するために、ローズヴェルトが、国民を煽動するプロパガンダに利用したのも確かだ。

 

ちなみに今回、米連邦議会でのアメリカ人に向けての演説で、ゼレンスキーは、「真珠湾攻撃を思い出せ!」と呼びかけたが、アメリカ人に対しては実に効果的だった(※)と思う。

しかし、日本人からすれば、言いたいことは山ほどある。その言いたいことを集約すれば「太平洋戦争において、日本は絶対悪で、アメリカは絶対正義だったのか?」という疑問だ。

アメリカ人や中国人は、日本を絶対悪ということにしておきたいのだろうが、日本人からすれば、冗談ではない。

 

同じように、ロシア側から見れば、ゼレンスキーは、スラブ系民族の裏切り者だ。

ロシア人は、シリアやセルビアの例からわかるように、身内・味方は、とことん大切にする。何があろうと見捨てない。命がけで最後まで面倒を見る。たとえ悪であっても、決して見限ったりしない。裏切ることもない。その一方で、裏切り者に対しては容赦がない。敵には冷酷で残虐だ。地の果てまで追いかけてでも殺す。

ロシア人は、熱いハートの持ち主ではあるが、身も凍るほど恐ろしい面もある。

冷酷な面もあるが、だからと言って、人間として、まったく信頼できない人たちというわけではないし、温かい思いやりがないわけでもない。

 

結局、ゼレンスキーとウクライナ人が、100%正義というわけではないのだ。

ウクライナにウクライナの正義があるように、ロシアにもロシアの正義がある

アメリカ、特にバイデンと民主党とCNNなどリベラル・メディアが、ゼレンスキーとウクライナへの強烈な贔屓をするのは、彼らなりの動機や目論見があるためだ。

日本のメディアも、そうした海外リベラル・メディアの強い影響下にある。したがって、日本の報道姿勢も、大概、偏向している。

彼らの合言葉は「自由と民主主義を守れ!」「侵略者を許すな!」「弱者に寄り添え!」というものだ。こうしたスローガンは、西側諸国においては絶対正義だが、それ以外の国々では、必ずしも、絶対的な価値を持つものではない。

 

右派コミュニタリアンの私の感覚では、ウクライナの姿勢も、プーチンの決断や行動も、いずれも理解できるし、いずれの正義も、納得できるものだ。逆に、アメリカの思惑こそが、曲者だと思う。

一方で、右派リバタリアンの橋下徹さんとしては、プーチンの決断や行動は認められないが、成人男性の国外脱出を禁じたゼレンスキーの方針も間違っていると主張しているように思える。それは、市民の自発的な愛国心の発露を求めるものではない。むしろ、国家によるナショナリズムの押し付けだ。

ゼレンスキーが、「オレは逃げない!」「みんな、逃げないで戦え!」と言えば、暗に「今すぐ、戦争を終わらせて!」という国民の正直な声を封じてしまう。これは、国家による抑圧だ。個人の純粋な自己責任による決断を邪魔する、このような事態を嫌って「ウクライナ人は、男性も、どんどん逃げるべきだ」と橋本さんは言う。

アメリカがプーチンをウクライナ侵攻の決断へと追い詰めた手腕は、見事だが憎たらしいと思っているのだろう。「『ウクライナ人、頑張れ!』って、いつまで頑張らせるんだ、そんなことを外野から言うくらいなら、アメリカも欧州も、戦闘機も送れ、自分も戦え!」と言う。画策した本人たちが、火の粉をかぶるべきだと言いたいのだと思う。

さらに、左派リベラルのテリー伊藤さんからすれば、プーチンの行動は言語道断ではあるが、アメリカやNATOもまったく信用できないと思っているかもしれない。その上で、ゼレンスキーは、国民を犬死させるべきでないと主張している。「ウクライナとロシアでは、戦ってもウクライナは勝てないから、犠牲が増える前に、戦うのはやめるべきだ」「降伏も止むを得ない」と言うのだ。いかにも、日本の左派リベラルらしい考え方だと思う。

 

そして、テリー伊藤や橋下徹の言い分は、どちらも間違っているとは言えないのではないか、というのが私の感覚だ。

少なくとも、私は、「戦争の犠牲者を減らすことに最善を尽くすことこそが、為政者の最重要の使命だ」という彼らの言い分には、それぞれに一理あると思うのだ。少なくとも、彼らの寄って立つ思想的立場は、少しもぶれていない。

それに対して、二人の言動に対して批判的な人々の主張には、「ウクライナは絶対的な正義だ」と信じ込む、危ういナイーブさを感じずにはいられない。二人を批判する側こそ、実は、思いっきりブレており、バイアス(偏見・偏向)がかかっているのではないか?

 

 

 

 

※ウクライナのゼレンスキー大統領が、今度、日本の国会で、キエフからリモート演説をする時には、「広島・長崎への原爆投下による無差別殺戮、東京大空襲の市民への無差別爆撃を思い出せ!」「この痛みは、経験した者にしかわからない!」「日本人は、ウクライナを無視できないはずだ!」と、訴えるかもしれない。

また、もし、そう言わないなら、なぜ、米連邦議会でアメリカ人に対しては「9.11、真珠湾攻撃を思い出せ!」と強烈に煽ったのか、意味不明である。

ともかくアジテーションが巧みな大統領ではある。

魅力あふれる挙動で周囲を魅了し、巧みな言動で相手の痛いところを突き、自分の破滅を目の前にして綱渡りを楽しむ。

度胸満点で、才気煥発で、危機が迫るほどエネルギッシュになる。

それが、サイコパスの特徴でもある。

「金よりも武器をよこせ!」

「オレは最後までキエフにとどまる!」

「みんな、武器を取れ!」

「18歳以上60歳未満の男は、全員、国を出ずに戦え!」

正義の男。勇敢な戦士。英雄的リーダー。

もはや、誰も彼に逆らえない。

知らず知らずのうちに、誰もが彼の動きに巻き込まれる。そして、それと知らずに操られる。

熱狂の中、血が流され、命が失われる。

彼こそが、現代のハメルーンの笛吹きだ。

そう考えるのは、杞憂だろうか。