【①〝自由と民主主義〟の偽善を大切にする陣営】
ウクライナのゼレンスキーを支えているのはアメリカの民主党のバイデンであり、EU、NATOであり、CNNに代表されるリベラル・メディアである。
そして、この陣営の合言葉は「自由と民主主義を守れ!」であり、「正義は我にあり!」であり、「侵略者に負けるな!」である。
この陣営の中で、ゼレンスキーは、自らの立場を、『侵略者の悪意に向かって戦う正義と愛国の使徒』と考えているようだ。また、メディアや有識者たちの多くも、そう考えているように思える。事実、そうなのだ、とも言える。
だから、ゼレンスキーは、米連邦議会の演説で、アメリカ国民に向かって「ただ、9・11や真珠湾奇襲を思い出してください」と呼びかけた。ロシアに侵略されたウクライナの痛みを共有することを、アメリカ人の愛国心に訴えたのだ。
アメリカが、侵略者に攻撃された時のことを想起させ、当時、アメリカ人の心に生まれた愛国心と復讐心を、再び、呼び覚まし、ロシアに対する『正義の戦い』への参加意欲に転じさせようという意図を感じる。
ウクライナの国会議員が、韓国の記者に「中国か日本が、済州島に上陸しても、韓国人は何もしないのか?」と尋ねたのも、同じ意図であろう。
しかし、その一方で、ゼレンスキーは、ウクライナ国内の18才以上60才未満のすべての男性に国外脱出を禁じ、一般市民に銃を配った。
その上で「オレは逃げない!」「キエフに留まって、最後まで戦う!」「みんなも銃を取れ!」「一緒に戦おう!」と国民に呼びかけた。
大統領に、こう言われてしまっては、誰も、逃げたくても逃げられない。市民が正直な気持ちから「今すぐ、戦争をやめて!」と言いたくても、とても言えない状況が醸成された。
ゼレンスキー大統領としては、「自主的な愛国心の発露を期待する」という態度をとっているつもりだろうが、現実には、民間人に対して、「踏みとどまって戦え」と命令しているも同然だ。これは、国家によるナショナリズムの強要である。
そして、ウクライナでは、現在、国外脱出を図る男性の拘束が相次いでいるという。
今まで銃を握ったこともない素人の一般市民が、「国に留まって戦え」と銃を渡されても、ライフルでロケット弾と、どう戦えばいい?
「もう戦いたくない」「一日も早く停戦して欲しい」というウクライナ市民の本心は、抑圧され、黙殺され続けている。『自由と民主主義の使徒』であるゼレンスキーに向かって文句は言えない雰囲気だ。
ゼレンスキーは、『自由と民主主義』を金科玉条としながら、自らが正義と考える目的(この場合は、侵略者との戦い)のためなら、平然と人権を侵し、国民を抑圧することも辞さない。
目的のためには、自国の国民に対しても、西側諸国に対しても、ナショナリズムを焚き付け、人々を戦わせるための扇動に余念がない。これは、『正義の名の下に行われている自由の抑圧』である。
『自由と民主主義』体制を守るために、個人の自由を抑圧する、という左派リベラルと左派リバタリアンの欺瞞が生じている。
本来なら、大いに批判されてしかるべき事態ではあるが、侵略者を倒すためにはそれもやむなし、と見過ごされている。
バイデンもまた、自らを絶対正義の立場に置き、「自由と民主主義を守ろう!」と世界に呼びかけながら、ロシアを絶対悪として叩くことに熱中している。
その間にも、ウクライナでは血が流れ続けているが、侵攻前から「何があっても、アメリカは派兵しない」と宣言して、自らを安全地帯に置いてきたのがバイデンだ。彼は「第三次世界大戦を起こすわけにはいかない」と言い訳しながら、自ら行ってきた火遊びの責任を取ろうとはしないのだ。
NATO入りをちらつかせてゼレンスキーを反露に傾けたことで、ロシアのウクライナ侵攻を招いた自らの責任を無視し、徹底してウクライナのバックアップをしながら、自らを責任のない第三者の安全な立場に置いて安穏としている。
彼らが共有する価値観として自己規定するキーワードは、「自由と民主主義」と「正義」だが、その一方で、下記の異なるグループの人々にとっては「無責任」「冷たい」「自己正当化」「卑怯」という印象も付きまとう。
【②偽善を剥ぎ取り、悪と呼ばれることを恐れない陣営】
ロシアのプーチンを支えているのは、ロシア国民の7割を占めるとされる岩盤支持層であり、中国の習近平、北朝鮮の金正恩、シリアのアサド、セルビアなどの固い支援がある。
さらに、アフリカ諸国やインドもプーチン寄りとされる。ブラジルのボルソナ大統領、アメリカの共和党のトランプも、心情的なプーチン支持者と見られる。
この陣営(?)の特徴は、必ずしも「自由と民主主義」を金科玉条とはしない点だろう。むしろ、「民主主義を好まない」のが共通点とさえ言えるかもしれない。
当然、「独裁者」と見られる国家指導者も多い。意思決定がはやく、政治的決定は、個人の責任においてなされる。一個人の意思が、組織や社会システムを、軽々と乗り越える。リベラルの立場から見ると、その専横は許し難いだろう。
学識者たちは、このグループを、プロパガンダによって無教養な大衆を操る扇動政治家たちによって成り立つ独裁国家群と考える。
しかし、もちろん、自らの指導者に対して、支持者たちが見ているものは、リベラルな学識者たちの見ているものとはまったく異なる。
このグループの支持者たちは、自らの指導者に、象徴的な〝親〟の姿を見ている。その意味では、日本における皇室、イギリスの王室の支持者たちなども、このグループに含まれるかもしれない。
ロシアは、30年前に、ソ連崩壊を経験している。 当時、公務員は、学校の先生も、郵便局員も、発電所員も、数年にわたって給料が全く出なかった。 学校の先生が、授業は早々に切り上げて、食べ物を得るために畑を耕しに行っていた時代だ。
「生きていくために、人殺し以外は何でもやった」と当時を経験した人から聞いたことがある。
日本から、マルちゃんのインスタントラーメン数万食がロシアに送られ、喜ばれたこともあった。 国の崩壊によって、何も信じられなくなった若者たちが、心の支えを求めて、日本から布教に来たオーム真理教のモスクワ支部には入信者が溢れ、日本でもニュースになった。
40代以上の人たちは、経済的窮乏には慣れていると、口を揃えて言う。 西側世界すべてを敵に回すのにも慣れている。
ただ、ソ連を知らない30代以下の若い人は、もっとヤワに育っているから、上の世代よりも、ダメージが大きいだろう。
要するに、日本にとって1990年代が「失われた10年」であった以上に、ロシアにとっての90年代は「崩壊と迷走と停滞と貧困の10年」だったのだ。
それが、エリツィン時代の貧困弱小国ロシア。
その後のプーチン政権の20年は、ロシア復活の20年。
だから、歳上の世代ほど、プーチンへの支持と信頼は、揺るぎないものがある。 40代以上の人たちの多くは、プーチンとともに歩いてきたという感覚があるようだ。 それが、支持率7割の中身だから、プーチン政権は、決して脆弱ではない。
また、中国にとっては、西側との緩衝地帯として、ロシアと北朝鮮は、非常に重要な友好国・同盟国だ。インドも、ロシアとはケンカしたくない。中国と結びつきの強い東南アジアやアフリカ諸国もそうだ。
ロシアは意外に孤立していない。 とは言え、ロシアにとっても、早期の停戦は、非常に良いことだ。プーチンもまた、早期停戦を望んでいるだろう。
プーチンは、確かにウクライナにとって侵略者となった。プーチンを狂った独裁者であるとか、脳か神経の病に侵されているとか、正気ではない異常な人であるとする報道も、西側メディアにおいては数多くなされている。
しかし、多くの支持者たちにとっては、今でも、『もっとも国のことを思い、何よりもロシア人の幸せを願い、ロシアを守ることを、自らの責任として受け止め、重圧を背負って国を支えている頼もしい指導者』なのだ。
西側のメディアや有識者の多くは、そうした支持者たちを、権力者に都合のよいプロパガンダによって操られ、洗脳・支配されている哀れな人々と見ている。ちょうど、ジョージ・オーウェルのアンチ・ユートピア小説「1984年」の世界で、謎の独裁者「偉大なる兄弟」によって統治・支配された人々のように。
しかし、このグループに属する人々から見ると、西側のメディアや有識者たちこそが、固定化した観念に支配されて、個人としても、家族としても、共同体の一員としても、人間としての何かが欠けている人たちと感じられる。
この二つのグループの分断は、それぞれの国内にも存在し、国家グループ間にも存在する。今回のウクライナ戦争は、そうした二つの世界の分断の深淵をまざまざと感じさせるものとなった。
【まとめ】
上記の分断構造が、ウクライナ戦争の停戦と和平のプロセスを、非常に困難なものにしている、と私は考える。
①の陣営は、プーチンがサイコパスの狂人だと感じる。
②の陣営は、バイデンやゼレンスキーが、サイコパスだと感じる。
二つの陣営の人々の、モノの見方、感じ方は、正反対である。互いに、あまりにも違いすぎて、反発しか生じない。
プーチンは、血も涙もない狂人ではない。3/23、侵攻から1ヶ月経った時点で、民間人の死者は、国連の調査によると925人である。その数字が大きいのか小さいのか、私には評価できない。
ただ、旧日本軍が行ったハワイ真珠湾攻撃でのアメリカ側の民間人の死者は、その日1日で68名だった。ハワイ諸島では1日で68名。ウクライナでは1ヶ月で925名の民間人が亡くなった。数字からは、それほど大きな違いはない。民間人をなるべく犠牲者にしない。
「プーチン政権が倒れるまで、世界はウクライナを支援し続けるべきだ」という意見があるが、そもそもプーチン政権は、まず倒れないだろう。
少なくとも、ロシアへの経済制裁とウクライナへの財政・軍事援助、義勇軍だけでは、プーチン政権は絶対に倒れない。
ロシアへの経済制裁については、中国・インド・アフリカ諸国などが反対している。特に、中国は、プーチンが倒れそうになったら、なりふり構わず、プーチンを助けるだろう。
もともとウクライナの国力は、人口でロシアの1/3以下、GDP・軍事費においてはロシアの1/10に過ぎない。どれほど西側諸国が支援しても、自力でロシア軍を押し返すことは難しい。
また、ロシア国内での反プーチンの動きに期待するのは、中国国内での反習近平の動きや北朝鮮国内での反金正恩の動きに期待するのと同様に、ほとんど見込みがない。
アメリカ・NATOが、軍事的に本格的実力行使に出ることも考えられない以上、プーチン政権は短期間では、まず倒れないと考えるべきだ。
そして、何の成果もなくプーチンが軍を引き上げさせるということは、もっと考えられない。だから、何らかの政治的妥結がなければ、戦争は終わらない。
確かに、このまま戦争が終わらなければ、もしかしたら、数年後にプーチン政権は倒れるかもしれない。しかし、その頃には、ウクライナは、完全な廃墟になっているだろう。そして、復興資金をロシアは出さない。したがって、ウクライナ復興の莫大な資金は、すべて西側の負担になる。それまでに世界が被る経済的ダメージも、計り知れない。
何よりも、ウクライナで失われる命はどれほどになるか。武器と金だけ渡して、ウクライナ人に、いつまで戦えと言うのか。
絶対に必要なことは、どれほど悪であっても、侵略者であり、独裁者であるとしても、プーチンをプレーヤーとして認めることだ。そして、プーチンの言葉に耳を傾け、彼が何を求めているのか、理解することだ。その上で、譲歩できる点は譲歩し、妥結点を探るしかない。
それを邪魔するものがあるとすれば、それは、何よりも、ロシア、ウクライナおよび西側諸国におけるナショナリズムの熱狂である。
そしてもう一つ、ロシアのプーチンを、ナチス・ドイツのヒトラーと同一視し、ミュンヘン会談におけるヒトラーへの英仏の安易な妥協が、ヒトラーに成功体験を与え、ポーランド侵攻を招いたのだから、同じ間違いを繰り返してはならないと主張する人々がいる。つまり、「早期の停戦にこだわるあまり、安易にプーチンに譲歩してはならない」という意見の人々だ。
彼らはプーチンを絶対悪と考え、放っておけば世界を破滅させるにちがいない〝悪魔〟であるから、何としてもプーチンを滅ぼさねばならぬと心に決めているようだ。
その一方で、彼らは、NATOの東方拡大によって、ロシアに安全保障上の危機意識を生み、同時に、ウクライナのロシアからの離反を誘ったアメリカが、「何があっても派兵しない」と早々と公言したことが、ロシアのウクライナ侵攻を招いた点については、自らの罪業にあまりにも無自覚であり、その責任をあまりにも軽んじている。バイデンは、その無自覚なアメリカ人の代表格だろう。
本来なら、和平合意に向けて、重要な仲介プレーヤーにならなければならないアメリカが、無責任にも無関係な第三者の立場に立って、ロシア叩きに熱中し、返り血を浴びない範囲で、ウクライナの支援を限定的に行なっている。
その方針と支援は、以下のようなものである。
「侵略者であるならず者国家ロシアの独裁者プーチンを、徹底的に痛めつけねばならない。」
「アメリカは、第三次世界大戦を招くわけにはいかないので、一切の軍事的な実力行使は行わない。(つまり、海軍・空軍も含めて派兵は行わない。)」
「ウクライナのゼレンスキー政権に対しては、可能な限りの財政援助、物資の援助、情報の共有を行う。」
「兵器の供与については、歩兵の使用する携帯火力に限る。(戦車、装甲車、ヘリ、戦闘機、爆撃機、軍艦などの大型兵器は含まない。)」
こうしたアメリカ、欧州、日本など西側諸国の行う限定的な援助によって、ウクライナ軍は今後も激しい地上戦を繰り広げる歩兵能力を維持できるので、ロシア軍は、ますます遠距離からの都市爆撃、砲撃に頼るようになり、市民の犠牲がどこまでも増えることになるだろう。
こんな惨状で、ウクライナの人々は、いつまで頑張ればいいのだろうか?