人類の歴史において、ある局面を打開し、歴史を切り拓いてきたのは、その局面の持つ歴史的意味を知り、その分岐点の微細な空気の変化を肌で感じ取って、自ら決断を下し、果敢に行動した一人の人物であり、物事が動いたのは、そのたった一人の行動に、大衆が従った結果に過ぎない。

いつの世も、集団指導体制や、合議制が、歴史を動かしたためしはないのだ。

それからな。

怠惰で無能で無策極まる愚か者たちこそ、好んで核兵器を持ちたがるんだ。

本当に優れた者には、実は核など必要ない。

所詮、アメリカ人もイギリス人もフランス人もロシア人も中国人も、怠惰なバカものどもの集まりに過ぎん。

その点、優秀な日本人は、核を持っていないだろう?

 

1991年、湾岸戦争勃発時に、テロとデモで騒然となっていたパリの街のカフェで、ユダヤ人のおばさんがそう言った。

 

 

アメリカのどこに自由がある?

自由なんて、ごく一部の裕福で恵まれた運のいい連中の持つ特権に過ぎない。

アメリカの富の35%は上位1%の所有に帰するものであり、下位50%の人々は国全体の資産の4%しか持たない。

結局、アメリカでは、最低限度の生きる権利すら、国家は保障しないのだ。

生きる権利すらないのに、何が自由だ?

昔、ソ連には、どんな貧者でも、最低限、病院に行く権利ぐらいはあった。

 

旧ソ連時代を懐かしむロシア人がそう言った。

バイデンもゼレンスキーも、本当の貧乏を知らない。

プーチンは知っているんだ。

その違いは大きい、と。

 

 

 

2021年1月に「『ミンスク合意』を破棄する」と宣言した時、あるいは3月に「クリミアの奪還を目指す」と宣言した時に、既にゼレンスキーは「対露開戦も辞さない」と覚悟を決めていたのかもしれない。その背後には、戦争をしてでもロシアからの離反と自立を実現したいウクライナ西部の民族主義愛国者(反露派)たちの後押しがあったに違いない。彼らの戦略の〝かなめ〟は、この戦争にアメリカを巻き込むことであったはずだ。

また、このゼレンスキーの決断には、2021年1月、プーチンと個人的にうまがあった共和党のトランプ大統領が権力から転落し、以前からロシアを敵視し、ウクライナに肩入れが激しく、次男のウクライナ・スキャンダルをうやむやにしたい民主党のバイデンの政権が誕生したことが、密接に関係していただろう。

ゼレンスキーが『クリミア奪還』を宣言した直後、同年3月から、プーチンは国境に軍を増派して、ウクライナに圧力をかけたが、この時点で、ゼレンスキーは、対露開戦に向けて、アメリカに軍事支援を強く求めただろうし、アメリカとしても協力するにやぶさかでなかったはずだ。事実、アメリカ軍のウクライナ支援は、バイデン政権になって格段に手厚くなった。

バイデンからすると、「ウクライナには、是非とも対露戦を頑張って欲しい。しかし、大切なことは、アメリカが戦争に巻き込まれないことだ。何もプーチンのご機嫌をとって、戦争自体を止めようとする必要はない」というわけだ。

 

この「戦争が起きてもいいのでは?」というアメリカの傾向は、同年8月31日に、ベトナム戦争からの撤退並みのカオスを生じてバイデンからが赤っ恥をかいた、お粗末すぎる米軍のアフガン撤退騒動の外交的失策によって、ますます強まったろう。

タリバン政権が、米軍撤退とほぼ同時に首都を制圧した衝撃的ニュースは全世界を駆け巡り、アメリカの軍事力と外交的指導力への信頼は地に落ちた。この汚名を挽回し、同盟諸国の結束を図るためには、ロシアか中国が、近隣国に対して侵略戦争を始めてくれるのが、一番都合が良い。

同年12月8日、ミンスク合意を主導し、プーチンと個人的にも親しかったドイツのメルケルが首相を退任した。もはや、西側に、プーチンに影響を与え、侵攻を思い止まらせることのできる指導者はいなかった。

翌2022年2月、フランスとドイツは、ようやくことの重大さに気づき、ロシアとの交渉を始めたが、時既に遅しであった。

しかも、この時期にアメリカのバイデンは、ウクライナ軍の更なる増強に余念がなかった。当然、東部2州での紛争は激化した。そして、バイデン大統領とブリンケン国務長官は、繰り返し「ウクライナのNATO加盟はありうる」「今後、ウクライナで何が起こっても、米軍の派兵はない」と言い続けた。

これがプーチンへのゴーサインになった。

 

もちろん、これはプーチンの判断ミスであり、プーチンはアメリカの罠にハマったと言える。

バイデンとゼレンスキーは、入念に準備を整えて、プーチンの侵攻を待ち受けていたのだ。

戦争が始まってからも、アメリカとウクライナの連携は鮮やかだった。首都キーウに留まり、巧みに国民と世界を戦争に巻き込んでいくゼレンスキーの弁舌・手腕も見事だった。

「3日で首都キエフを陥し、2週間で戦争を終わらせ、ゼレンスキーに代わる親露政権を樹立する」というロシアの電撃作戦は水疱に帰した。

ゼレンスキーとアメリカの当初の目論見の通り、戦争は泥沼の長期戦になりつつある。戦争が長引けば長引くほど、ロシアの蛮行を世界に宣伝する機会は増える。ゼレンスキーとアメリカは、国際世論を味方に付け、長期戦を有利に展開することができる。そうすれば、徐々にロシアを追い詰めることができるだろう。

この長期戦計画は、これまでのところ、見事なまでに成功している。後は、経済的にも外交的にも、ロシアをじっくりと追い詰めていけばよい。

昔から言えることだが、戦争は勝者が総取りする容赦のないゲームである。したがって、勝てる戦争は、何としても勝たなければならない。決定的な勝利に至るまで、弱腰な譲歩や講和などもってのほかである。

急ぐ必要はない。時間は、ゼレンスキーとバイデンの味方だからだ。

 

ゼレンスキーとバイデンのタッグは、とても良いコンビだ。

ゼレンスキーは、アメリカの代理戦争を遂行することを引き受け、その一方で、ウクライナ民族派の野望・悲願であるウクライナのロシアからの離反と自立を成し遂げるつもりだ。ロシアの支配から脱する、ということだ。同時に、クリミア紛争でやられっぱなしだったロシアに一矢報いたいという思いもあったろう。

バイデンは、ゼレンスキーを全面的に支援し、ロシアに対して世界規模の経済制裁を続けることで、自らの手を血で汚すことなく、宿敵ロシアを徹底的に叩くことができる。同時に、このロシア叩きは、最大の敵である中国への牽制と警告にもなる。

そして、戦争が続けば続くほど、ロシアへの非難材料は増え続け、バイデン(とリベラル)の大好きな〝人道的な罪〟で、独裁者プーチンを追い詰めることができる。

アメリカでも、イラク戦争で、捕虜の虐待が常態化し、少なくとも八万人の民間人が、誤射・誤爆(?)で殺された。ロシア軍が、そのアメリカと同程度の民間人虐殺を行うことは、十分に期待できる。それを、今回は、大々的に報道し、ロシア非難の国際的な大合唱を作り出すのだ。

戦争が長引くほど、ロシアは孤立無援となり、ウクライナに支援は集まるはずだ。

まさに、理想的な状況である。

 

ただ、些細なことかもしれないが、バイデンとゼレンスキーの計画には、いくつかの問題点があるように思える。

その一つは、彼らの狙いである長期戦の実現によって、もっとも苦しむのはウクライナの国民である、ということだ。

もっとも、その責任は、すべてプーチンとロシアに押し付けることが可能であり、バイデンとゼレンスキー本人には実害(政治的な痛手)がない。

ゼレンスキーにとっては、ロシアの非道を宣伝し続けることで、国内の民族派の愛国心を鼓舞し、ロシアへの憎しみを燃え上がらせ、さらなる国際支援を得て、戦争継続への求心力を保つことができる。軍事力で正面からロシアを破ることさえ、夢ではない。

だが、依然として、ウクライナの民間人の生活と人生が破壊されていくという現実には変わりがないのだ。戦争が長引くほど、ウクライナの市民の苦しみは、耐え難いものになっていく。そして、この戦争が、早期に決着する見込みはまったくない。そもそも、バイデンも、ゼレンスキーも、初めから長期戦の泥沼化を狙っていたのだから、これで目論み通りなのである。

ある意味、「ウクライナの市民の命と人生と生活が、バイデンとゼレンスキーとウクライナ国内民族派の野望・願望を実現するための道具(犠牲)にされている」ようなかたちだ。

 

もう一つの問題は、我々にも関係がある。

追い詰められたプーチンが何をするか、という問題だ。

シカゴ大学の国際政治学者ジョン・ミアシャイマーは「悪いのはロシアを追い詰めた西側だ」「ウクライナ戦争の責任はロシアではなくアメリカにある」「これ以上、ロシアを追い詰めてはならない」と主張する。

また、現代言語学の第一人者で「知の巨人」と呼ばれ、今回のウクライナ侵攻を予測していたノーム・チョムスキーは、「ロシアの侵攻は重大な戦争犯罪であり、いかなる言い訳も通用しないが、先に裏切ったのはロシアではなくアメリカだったことは事実だ」「プーチンに逃げ道を用意しなければ、世界は想像を絶する悲劇を迎えることになる」「米露の対立が激化すれば、それは人類への死刑宣告になる」と主張する。

両者の主張を一言で言えば「ロシアをとことん追い詰めるのは危険だ!」という警告である。

それに対して、一般人の多くが考える典型的な意見は「侵攻したロシアに責任を取らせるべきだ」「侵略者プーチンに容赦する必要はない」「危険な独裁国家ロシアを徹底的に叩くべし!」というものだ。

 

確かに侵攻したロシアの罪は明らかで、誰にでもわかる明明白白のものだ。

その一方で、ゼレンスキーとウクライナは、侵攻された側であり、被害者である。

さらにバイデンは、派兵による戦闘行為を拒絶したという点で、戦争を拒絶している。自分(アメリカ)が、殺し合うことはしないと宣言したわけだ。

また、ウクライナは、自衛権を行使しているだけであるから、正義の側であり、そのウクライナに対して、アメリカが力の限り可能な支援を行うのは当然である。

このように大義名分が整っているゼレンスキーとバイデンの責任に言及し、表立って公然と非難するのは難しい。

その意味では、ゼレンスキーとバイデンの悪意は、巧妙に隠されている。おそらく、彼らは、自分自身に対してさえも、自らの〝悪意〟の存在を認めないだろう。

しかし、その隠された悪意が、人類に大いなる悲劇をもたらすかもしれないとすれば、やはり、我々は見過ごすことなく考えなければならないだろう。

そこに、ミアシャイマーとチョムスキーの言説の動機と使命感があるのだと思う。

はっきり見えているプーチンの大罪と、見えないバイデンとゼレンスキーの悪意が、世界を破滅に導くかもしれないのだ。

 

特に、日本の場合、ロシアと敵対するということは、NATO諸国と異なり、アメリカの存在感が低下した将来、東アジアで孤立し、中露ユーラシア連合と単独で向き合わなければならなくなる可能性が強まることを意味する。

その意味で、アジアで唯一、NATO諸国と足並みを揃えて、積極的にロシアに敵対的な態度をとる岸田政権の外交姿勢は、日本の生存戦略として、長い目で見ると、間違っていると言わざるを得ない。実に賢くない拙いやり方だ。

もともとロシア人は、ソ連時代から国民的に親日である。「日本は、かつてアメリカと真正面から戦った国だ」という親近感があるのかもしれない。

ロシア人は、たとえ反プーチンの人であっても、若者を除けば、プーチンよりアメリカの方が嫌いなのだ。

そして、ロシア人は、正邪を超えて、身内や味方には、非常に甘い。正義であるかどうか、などは関係ない。身内・味方は絶対的に保護し続けるし、最後まで決して見捨てない。

その反面、裏切り者は絶対に許さない。地の果てまで追いかけてでも、必ず、その報いを与える。敵に対しては、冷酷で残虐である。

プーチンにとって、ゼレンスキーが、スラブの〝裏切り者〟であるのと同様に、今、日本(岸田政権)もまた、〝裏切り者〟と見えているかもしれない。

 

我々人類は、自分自身の生存の問題として、この戦争を何とか早期の休戦・和睦に導かなければならない。

ロシアは絶対悪ではないし、西側は絶対善ではないのだ。戦争勃発の責任も、一方的に100%ロシアだけに帰されるべきものではない。バイデンにもゼレンスキーにも、開戦に至った責任はあるはずだ。

日本国民は、ロシアに対する過度な懲罰意識を持つべきではないし、西側の正義を盲信して「ロシアに対する一切の譲歩や妥協は許されない」と考えるのは誤りだ。

もっと言えば、ロシア側が「地上戦で決定的な勝利を掴むまで、停戦交渉が合意に向かって本格化する余地はない」と考えるのは誤りであるのと同様に、ウクライナやアメリカや西側諸国が「プーチン政権が弱体化して向こうから譲歩してくるまで、停戦交渉で、こちらが大きく譲歩する必要はまったくない」と考えるのも誤りなのだ。

ロシアにとって、選択肢が狭まることが、より過激な手段に打って出るきっかけとなるかもしれず、そして、その結果は誰にも予測できないからだ。

この先に、想像を絶する悲劇が待ち受けているとしたら?

戦場の、それを取り巻く世界の、人々の心の中に生じる報復意識や懲罰意識を、理性のタガから解き放ち、世界を憎悪で彩るのは、あまりにも危険な火遊びだ。

人類は、何度、同じ間違いを犯せば、学ぶのだろうか?