1月16日夕方から翌朝にかけて、三つの殺人事件があった。

 

有名になったのは、

博多駅前ストーカー、38歳女性刺殺事件

昨年10月に別れた31歳男性が、その後、女性につきまとい、12月にストーカー規制法に基づく「禁止命令」を受けていたにもかかわらず、1月16日午後6時過ぎに、博多駅前路上で、女性を引きずり倒し、馬乗りになって、ナイフで十数回、胸などを突き刺して殺し、そのまま平然と歩き去った事件。逮捕後の事情聴取で「一緒に歩いていた時の女の態度が気に食わなかった」と、男は言っているという。

 

もう一つは、

静岡牧之原刺殺事件

1月16日深夜に、静岡県牧之原市の自宅で、13歳の少女が、40代の母親に「スマートフォンでSNSを使い過ぎている」と注意され、口論になり、突発的に台所の包丁で母親を刺殺した事件。母親は首など複数箇所を刺され、ベッドで血を流して倒れている状態で発見された。中1の長女は、その場で警察に保護された。

 

さらに、翌日17日明け方、

大分県中津市、小1殺害事件

17日未明、大分県中津市のアパートの一室で、40歳の母親が、7歳の女の子を絞殺する事件が起きた。朝、母親は、警察に電話連絡して「娘を殺した」と告げ、「子育てに悩み、自分も死のうと思った」などと供述している。

 

たいした深い理由もなく、付き合っていた元恋人に殺され、実の娘に殺され、実の母親に殺される。

12時間のうちに、続けざまに起こった3つの殺人事件は、奇妙に軽薄でプライベートで家庭的(?)だ。

 

この三つの事件は、どれも、決して怨恨とか、根深い憎悪とかが原因で殺意が生まれ、やむにやまれぬ気持ちから殺害に至ったというわけではない。

お金や野心など、我欲から決行された計画殺人ですらない。

もっと、突発的で、発作的で、一過性の気分の問題で犯行に及んだように思える。

ある意味、重い動機を持たない、軽い殺意(気分)によって行われた衝動的殺人である。

それなりに深い関係があったはずの相手(肉親・恋人)に対する、命の重さが微塵も感じられない、呆れるほど軽々しい殺意、それが特色だ。

「ちょっと、気分で殺っちゃっただけだよ…」とでもいうような、唐突で、虚無的な殺人。

なぜ、こんなにも軽々しいのだ?

 

今日、日本で、殺人件数が、減り続けているのは、人を殺さねばならないほど、深く他者と交わることが少なく、人間関係が希薄で一時的であるためだと思われる。

その反面、増えているのは、八つ当たりや妄想による、通り魔的な無差別殺人(秋葉原通り魔事件・東海道新幹線車内殺傷事件)であったり、なぜ標的とされたのか釈然としない相手を狙った、奇妙な計画殺人(安倍元首相暗殺・京アニ放火殺人・川崎市登戸通り魔事件)などが起こるようになった。

「存在の耐えられない軽さ」という映画が昔あったが、人間存在がこれほどまでに軽々しく扱われているのは、この私たちの時代の問題なのだろうか。