『福・禄・寿 等価交換の法則』とは、もともとは中国の道教の考え方です。

福とは幸福、禄は俸禄、寿は長寿を、それぞれ表しています。また、道教における「幸福」とは子孫繁栄を意味します。現代的に考えると〝晩年まで周囲からの豊かな愛情に恵まれる〟というイメージです。孤独とは無縁の人生ということですね。「俸禄」は財と地位と名誉と権力を意味し、〝立身出世して富貴な者となる〟〝社会的地位を確立する〟ということですが、現代的には〝お金を得る〟〝資産を生む〟というイメージです。「長寿」は、文字通り、健康長寿を意味します。

廟や寺社などの霊域で、霊に対して「私の願いをお聞き届けください」と祈ると、「幸福(愛情)と俸禄(お金)と寿命(健康)のいずれを望みますか?」と霊に問われます。そこで福・禄・寿の3つのうち一つを選んでお願いすると、自分が選んだその一つが本来の分より多く与えられ、代わりに、それ以外の二つから何かが削られるというものです。

これは「霊は、願いをかなえる時に、相応の代償を要求する」という道教の考え方です。

例えば、幸福を願うと、愛情が与えられる代わりに、お金か寿命、あるいは両方が失われます。お金を選ぶと、分不相応に得られるお金の代わりに、愛情か寿命が、その分だけ失われるのです。与えられる恩恵が大きいほど、それに比して奪われるものも大きくなります。例えば、莫大な俸禄(お金)が与えられると、その代わりに、幸福(愛情)と寿命(健康)が、ごっそり削られることになるわけです。資産は多くとも、愛情薄く病弱になりがちで、孤独で短命な人生となります。

 

そして、この、中国で古くから伝えられている道教の教えは、道教という一宗教を離れて、この人類社会に普遍的に在る一般法則のひとつでもあるのです。つまり、国と時代を超えて人間社会全般に通用する法則として、この『福・禄・寿の等価交換の法則』を、人間界の真理にして自然界の一般法則であると、私たちは考えることができます。

この法則のベースにある考え方は、「人は、もともと持っている運勢の総量は変えられないが、傾斜配分の割合を任意で変えることはできる」ということです。そして、大抵の人は、無意識に、その傾斜配分を選んでおり、その結果として、得られる運気もあれば、その逆に、知らない間に失われている運気もあるというのです。

「人生において何が一番大切か?」の違いによって、傾斜配分は自動的に選ばれています。本人にとって最も大切なものが選ばれ、最も重視しないものが捨てられるのです。

 

ですから、ある人が、分不相応にお金を欲して、その願いが叶えられたとしたら、そこで財運に運気を使い過ぎている分、必ず、どこかに皺寄せがいき、減退・欠乏する分野が生じることになります。その欠乏が、愛情運(幸福)だった場合には、その目減り具合は、誰にでも実感しやすく、周囲からも目に見えてわかります。ところが、財運(お金)と健康運(寿命)との等価交換の場合、もともとの自分の寿命がいつまでなのか、そもそもわからない上に、たとえ代償として寿命を10年分奪われたとしても直ぐにはわかりません。

わかる時は、既に死んでいますからね。

福(愛情)や禄(お金)は失うとすぐ気づきますが、寿命だけは失われていても、なかなか気づけないのが恐ろしいところです。

 

私たちの身の回りで、さまざまな人々が、この『福・禄・寿 交換の法則』によって人生を支配されている様を見ることができるでしょう。

一族が、禄(お金)を選んだために、当主の死後、家族が遺産相続の裁判によって仲違いし、ばらばらになってしまうこともあります。彼らは、一族の因縁によって、禄(財産)を取り、福(子孫繁栄)を失ったのです。

また、禄(仕事・実績)に執着するあまり、家族の愛情(福)を失ってしまう人はどこにでもいます。愛情より個人としての社会的成功を重視した結果と言えます。

さらに、分不相応の資産持ちで、糖尿病や精神疾患などで健康を著しく害している人や、健康だったのに若くして突然死する資産家の話はよく聞きます。一族としては、ケネディ家の例などが典型的と言えるでしょう。

中でも、霊的な事柄を扱う宗教家や霊媒師や占い師などが、占いやお祓いなど、その霊的な操作によって大金を得た場合には、この福・禄・寿 交換の効果がテキメンに働きます。ですから、売れっ子の占い師や霊媒師などに限って、本人はなかなか幸せになりにくかったりするのです。

多くの場合、傍目には華々しく成功しているように見えても、実生活においては、禄(お金)を取って福(愛情・幸せ)を失っているように感じられる方が多いのは事実ではないでしょうか。

 

この『福・禄・寿 交換の法則』は、非常に恐ろしい自然法則ですが、その法則の凶意から逃れる方法もあります。例えば、分不相応にお金が入ってきた時には、そのお金を自分のためでなく、多くの他の人のために使ってしまうのです。それによって徳を積み、福・禄・寿 交換の凶意から免れることができます。

ところが、お金への執着から免れ、人のために気前よくお金をつかえる人は、めったにいないものです。そのため、この『福・禄・寿 交換の法則』の呪縛から免れることがなかなかできず、残念な最後を迎える人が多いのも現実です。

 

ところで、宗教法人「幸福の科学」の創始者であり、「仏陀の生まれ変わりにして『地球神』である」と称していた大川隆法氏(66歳)が、3月2日に亡くなりました。

2月末に突然、自宅で倒れ、病院に搬送されたのですが、持ち直すことなく急逝されたようです。教団は、未だに公式には教祖の死を公表していません。詳しい死因もわからないままです。

大川隆法氏は、仏陀の生まれ変わりであると同時に、ギリシャ神話のオリンポス十二神のひとりであるヘルメス神の生まれ変わりであるとも称していらっしゃいました。

ちなみにヘルメス神は、主神ゼウスとプレアデスの長姉マイアの子で、旅人・商人の守護神であり、商業・弁舌・科学の神として、富と幸運と流通と発明を司り、詐欺と策略と盗賊の神として、市場と賭博と錬金術を司るという実に多面的で多才な神です。ローマ神話における商業の神メルクリウス(マーキュリー)と同一視される存在でもあります。

そういう意味では、大川隆法氏は、その前世の神としての性質から考えても、富(禄)と愛情(福)を選び取った(司る?)人(神?)であると考えられます。

「幸福の科学」の創始者(教祖)として、信者の方々から、多くのお布施を受け、大いに信心を受けて、たくさんの人からお金を集めて組織を大きくしてきた方です。そのため、禄をいっぱい受けられたので、その分、寿命が削られたとしても不思議ではないと思うのです。家族がバラバラになっている現状から福(愛情)にも多少の障り(さわり)があったことは確かです。けれども、寿命への影響は、より大きかったのではないでしょうか。

あくまでも個人的な見解ではありますが、大川隆法氏は、『福・禄・寿 交換の法則』の凶意によって、若くして亡くなることになったのではないか、とそう思えてなりません。