最近、岸田政権は、「異次元の少子化対策を行う」と息を巻いている。

政府の少子化対策というのは、基本は児童手当・保育所・学童保育・育児休暇の充実など、いわゆる〝子育て支援〟の対策だ。

その理由は、少子化の理由を、主に若い夫婦の経済的な問題と考えているからだ。

だから、「子育てを支援する経済援助や環境整備を充実させれば、出生率は上がるだろう」と安易に考えているようだ。

しかし、本当にそうなるだろうか?

『夫婦の給料・賃金が低く、経済的に子どもを作る余裕がないことから、若い夫婦が子どもを作れないので、出生率が下がっている』という神話は事実なのだろうか?

 

事実はそうではない。

夫婦の給料・賃金が上がろうが、男女の役割分担が進もうが、託児所・保育所が増えようが、育児休暇が充実しようが、出生率は上がらない。 

なぜなら、今の世の中、男女が付き合ってすらいないからだ。 

異性と付き合いたくない若者が5割という社会で、子供が増えるわけがない。 

異性と付き合うのは面倒だと彼らは言っている。

他人に興味がないし、興味を持たれるのも嫌だ、と。

 だから、出生率の低下に、家計も男女役割分担も、まったく関係ない。 

子どもをつくろうとしないのではない。

男女が付き合おうとしないのが問題なのだ。

 

実際、結婚しているカップルにおける子どもの割合は、ほとんど減っていない。 

8人も9人も兄弟姉妹がいるのが普通という世代は、戦前世代の80代後半以前の話。 

70代〜60代は、兄弟姉妹は3〜4人が普通。 

50代なら兄弟姉妹は2人が普通だ。ひとりっ子も既に多かった。 

その頃と比べて、今の夫婦が子どもがさほど少ないわけではない。 

データ的にも、ここ30年ほど、夫婦の子供の数は横ばい状態でまったく減っていない。

夫婦の産む子供の数は変わらないが、夫婦になる割合が減っている。

夫婦の数を増やさないと、少子化に歯止めはかからない。 

経済的な優遇策とか子育て支援で、子どもの数が増えるとはとても思えない。 

 

そもそもの問題は、異性交際をする男女の割合が低下していること。 

おひとり様が気楽という人に、子どもを作れと言っても無理な話だ。 

他者と深く付き合うことを煩わしく感じる人が増えているのだ。 

人嫌いが増えている。

人間不信のストレス社会ということだね。 

ハリネズミのジレンマが蔓延する社会なのだ。 

相手に深く踏み込むのも、自分が踏み込まれるのも苦手で、どう踏み込めばいいのか、わからない。 

だから、関係が深まりようがない。

 

物理的に狭義の〝引きこもり〟でなくても、家族や他人と会話は交わしても、仕事上の業務連絡や当たり障りのない会話に終始して、プライベートな会話がない〝精神的引きこもり〟や〝引きこもり予備軍〟は、老若男女を問わず、この国では非常に増えているようだ。

話しかけるのも、話しかけられるのも面倒だと思う人たち。

他人に興味がないし、興味を持たれたくもない。

人と話すことに、ストレスしか感じない。

ともかく、はやく切り上げたい。

引きこもりたい。

 

彼らは〝現実(実社会)〟に諦めているのだ。

現実は楽しくない。

信頼できる人と出会えるなんていう奇跡は、まず起こらない。

だから、皆、楽しい仮想現実(バーチャル)へと逃避する。

根本は、この社会では、誰もが人と人が深く付き合う余裕を失っていることにある。 

つまりは、人間精神の相互許容度とか、社会における信頼関係構築の困難さとかに関わる問題。

そこを見つめなければ、この国の少子化問題は永遠に解決しないだろう。

 

「不純異性交友がダメ」とか、いつまでも時代遅れなことを言っていたら、国が滅びる。

効果的な少子化対策とは、極端に言えば、政府が積極的不純異性交友を大いに勧めるということになる。

「どんどん付き合え」というわけだ。

10代で子どもを産んだら不良と呼ばれるようでは困る。

モラルも価値観も、大幅な見直しが必要になる。

逆に言えば、これまでの人間不信を生み出す偏向した教育が、少子化の根本的な原因ということでもある。

「他人を見たら泥棒と思え」「家族以外の人はどうでもいい」

そういう家庭教育が、他者を信頼して尊重することを知らない世代を育てたのだ。

年長者を尊敬できず、子どもを慈しむことを知らない。

だから、若い男女も互いに深い交際ができない

そうした問題意識の自覚も自省もなく、異次元の少子化対策とか、軽々しく言わないで欲しい。