先駆者の次なるステップ IFS記事(和訳) | Ode To Daisuke

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フィギュアスケーター、髙橋大輔さんをひっそりと応援しています。

IFS8月号の大ちゃんの記事を訳しました。
筆者はTatjana Fladeさんです。

私は紙媒体の記事を読んだだけですが
デジタル版も同じでしょうか。

原文は有料記事のため、
翻訳も限定公開とさせていただきます。
そろそろ次号が出る頃なので
こっそり一般公開にいたしました^^

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Daisuke Takahashi: Trailblazor's Next Step
先駆者の次なるステップ

日本のスーパースター、髙橋大輔は、これまで10年以上に及ぶ競技人生において数々の金字塔を打ち立てて来た。

2002年、日本人男子として初めて世界ジュニアチャンピオンに輝き、2010年冬季オリンピックで日本人男子初のメダルを獲得すると、 次いで世界選手権では日本人男子で初めての王座に着いた。さらに2012年にはグランプリファイナルのタイトルを獲得したが、これもまた日本人男子初である。

しかし、昨シーズンは浮き沈みの激しい年となった。スケートアメリカで4位に終わったが、続くNHK杯では優勝した。だが11月下旬に練習中に起きた右脚の負傷のためグランプリファイナルの欠場を余儀無くされ、数週間後の全日本選手権の演技にも影響を及ぼした。

「怪我は良くなって来てはいるが、練習でジャンプをすると少し腫れたりする。パーフェクトな状態とは言えず、今も治療が必要だ」と髙橋は話していた。

5度の全日本チャンピオンである彼は、2014年冬季オリンピックを6位の成績で終え、疲労困憊していると話した。「本当に疲れていたので、スケートもしたくないほどだった。2ヶ月近く滑らなかったと思う」と彼は語る。「時々はアイスリンクへ行ったけれど、練習はせず、ただ20分ほど滑って家に帰っていた。その代わり、たくさんの友人と会って食事に出かけたりした。それがとても楽しかった」

昨シーズンいっぱいで現役を引退すると明言していた彼だが、この点について28歳の彼はまだ最終的な結論を出していない。幾つもの選択肢を考えている。

「昨シーズンは自分の思うような演技ができなかった。世界選手権に出場する予定だったが怪我のためそれも叶わず、最後の締めくくりができなかった」競技を続けるにはどのような動機が必要かとの問いに彼はそう答えた。

「色々と思案中です。完全には終われていないし、中途半端。将来のことを考えなくてはいけない」

髙橋は、様々な理由から休養が必要と話す。「休養を取ることで自信を取り戻すことができれば、現役を続けると思う。でも何か他のことが見つかれば、辞める。自分は何をしたいのかこの一年考えたい。今はまだ分からない。8月まではショーで滑り、その後はスケートから少し離れたい」

競技生活を通じ、髙橋はその芸術的な演技の幅の広さで世界中の観客を魅了し続けてきた。クラシックやヒップホップ、ラテンのリズムから映画のサウンドトラックまで、どのような曲で滑ろうと、音楽性豊かにキャラクターを演じ分けるさまは、常に彼の演技の醍醐味である。

だが彼にもまだ未経験でこれから挑戦したいジャンルもあるそうだ。「ジャズやフラメンコやワルツなど、まだやったことがない音楽やスタイルがある」と彼は語った。

今まで演じた全てのプログラムの中で、一番のお気に入りはデイビッド・ウィルソン振付によるオリエンタルなテーマの「イン・ザ・ガーデン・オブ・ソウルズ」だという。

来シーズンから歌詞入りの音楽の使用が認められたが、髙橋はそれがこの競技にとって良いことなのか分からないと語る。「競技で使うのはあまり好きではない。でも、曲全体を通してではなく、一部分に少しだけ歌詞が入っているものとか。そういう音楽なら良いかもしれない」

「歌詞付きの音楽はどうしてもエキジビションのような気がしてしまう。競技とショーは別の物でなくてはならないと思う」

髙橋ほど膨大な数のファンを持ち、それを自慢できる選手はまずいないだろう。彼の出場する競技会やショーには、バナーやプレゼントや花束を装備した大勢のファンが世界中どこでも追いかける。5月末に遠いカザフスタンで行われたデニス・テンのアイスショーには、髙橋のオリンピック以来初めてとなる演技を観ようと多くのファンが駆けつけた。

彼がそれほどまで人気がある理由は容易に理解できる。氷上での業績を別にしても、フィギュアスケート界において髙橋ほど良い人間はまずいない、というのは周知の事実だからである。少々シャイに見えることもあるが、実際の彼は楽しいことが大好きな積極的な性格で、とても好感が持てる人物なのだ。

競技生活を振り返り、思い出深い出来事はたくさんあったが、その中でも2010年冬季オリンピックは最高の思い出だと語る。

「バンクーバーで表彰台の上に立った時の気持ちは、とても特別なもので、人生であのような気分を味わったのはあの時だけだ」彼はそう説明する。「金メダルは取れなかったが、世界選手権での優勝よりも僕にとっては大きな意味があった」髙橋はこの時銅メダルを獲得した。

「記憶に残る、ではないけれど、一番キツかったのはソチの前のシーズン。すごく苦しかったが特別なシーズンでもあった。この時は、自分にこれ以上何が残っているのかを見つけようとしていた。自分が本当はどうしたいのか、競技を続けたいのかどうか悩んだ。ソチでの結果は、自分が将来やりたい事を考える良い機会になった」

髙橋の描く将来像に、コーチという選択はないと言う。

「学校に行くかもしれないし、ダンスもやってみたいし語学の勉強もしたい」

いずれの道を選ぶにせよ、日本のフィギュアスケートの歴史には、男子フィギュアの先駆者として髙橋の名はしっかりと刻まれている。


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富山のファンタジーオンアイスで
大ちゃんはビートルズメドレーを滑ったとか!

ちりぢりになっていた気持ちと身体が
ようやくソチを振り返ることができるまでになったのですね。

観たいなあ・・・
。・゜・(ノД`)・゜・。