ビアンケッティ氏の記事(和訳) | Ode To Daisuke

Ode To Daisuke

フィギュアスケーター、髙橋大輔さんをひっそりと応援しています。

ごぶさたしてます・・・


もはやブログの書き方さえ忘れてしまったほどですが、
Absolute Skatingの記事に大ちゃんのことが書かれているとのことで
超ざっくり要約してみました。

→元記事はこちら

・・・が

何しろものすごく長く、
記事を発見したのが午前1時、
要約だけでも、と手を付けたのが午前2時半、
現在午前5時でございます(TωT)

まだまだ終わらないのですが
とりあえず大ちゃんのことが書いてあるあたりは
割と細かく訳したつもりですので、
よろしければお読みください^^

後日ひまを見つけて
ちょこちょこ追加したいと思います。

とりあえず
ビアンケッティさんにとって
Mr. Takahashiのスケートが
とんでもなく別格らしいということは
よっく分かりました~≧(´▽`)≦


*************

Sonia Bianchetti: "I would give more points for the quality, not the difficulty"
October 10, 2014

(要約です!)

◆ フィギュアスケートは元来難しい技と芸術的な美しさと音楽を調和させたものだったが、現ジャッジシステムは技術偏重で、選手は自分の能力以上の技までも無理矢理入れなくてはならなくなった。そのためミスが多くなり、スピンはひどい物になってしまった。

◆ ステップ、スピンも条件が厳しくなり、音楽に合わせたプログラムが作りにくくなった。元々この競技はスケーターから醸し出される情熱や独創性を楽しむものだった。過去には感情を呼び覚ますようなスケートが見られたが、現在それができる選手は殆どいない。彼らは息をつく暇もなく演技を終え、終わったことにほっとしても、そこに何の感情も見られない。

◆ 子供達はごく若い時点でスケートを諦めてしまう。システムがあまりに過酷だからだ。可能性がほとんどないばかりか、お金も相当かかるため、みんな別のスポーツに転向してしまう。

---ルールを変更する意思は見られるか?

◆ ISUの現リーダー達、とくにOttavio CinquantaとPeter Krickがいる間はそれはないと思う。

◆ 私は最初のアイディアは間違っていなかったと思う。要素にレベルを与えることで、採点に客観性を持たせることができたから。問題は毎年、小さな変更が次々と加えられたこと。誰かがスピンでレベル3や4を取ると、それにさらに難しい条件を付け足していくのだ。今のシステムは難解すぎて、コーチも観客も理解できない。

---現行システムはより公平に、ジャッジが点数をごまかせないように作られたはずだが、そのようになっているか?

◆ 全くなっていない。匿名制度のおかげでジャッジは以前より好き勝手なことができている。さらにPCSを見ると、選手に順位をつけているのが分かる。実際に氷上で起きていることとは無関係に。パトリック・チャンが何度も転倒しながらPresentationで9.5を取ったところを我々は何度も見ている。こんなことはあり得ない。技術点はそれぞれの要素の点数が決まっているのでまだ少しは明確だが、これもジャッジはGOEを操作することができる。

◆ ジャッジ間で合意が行われているという噂はあるが証明することはできない。しかし今だにそういうジャッジがいるということは見て取れる。Cinquantaの考えでは匿名制度の元では各国の連盟が自国ジャッジに選手に有利な採点をさせることができなくなるというが、実は反対である。さらに、今では有名な「採点の幅」というものがあって、その幅に収まる点数を付ければそれは間違っていないことになる。過半数のジャッジがある選手を一位にすれば、その結果が間違いだと指摘することができないのだ。以前はそれができた。たとえそれが過半数の意見であっても、間違いであればジャッジを罰することもできた。今はそれは不可能だ。大多数であれば、何をしても許されるのだ。

◆ 匿名でなかったら、改善されるだろう。ジャッジは自分の付けた点数に責任を持つべき。さらに、現行システムは複雑すぎて、わずか数秒のうちにPCSの35もの細かな事柄を考慮し5項目の点数を付けることは不可能。

◆ 私の意見は、PCSを2項目にすること。一つはつなぎなどの技術的な点、もう一つは過去にあったようなプログラム全体の芸術点。音楽性、解釈、振付、音楽の表現など。得点は1~6、もしくは1~10のように分かりやすくする。合計点ではなく、各ジャッジが何点を出したか分かるようにする。アリーナの観客やTVの視聴者をいかに巻き込むことができるかが大切。フットボールのように、たとえば試合の帰り道で、レフリーの間違いについて議論がなされることでスポーツは活性化する。かつてはスケートでもそうだった。おかしな点数があればそれを付けたジャッジがTVに大写しにされる。。。あの馬鹿なジャッジは何をやってるんだ?ってね。

---技術点はどうか?そのままで良いと思うか?

◆ ジャンプの基礎点はそのままでいいと思う。転倒や両足着氷でも得点が出るのは変更するべき。なぜならそれによって選手は自分の能力以上のことをしようと無理するから。プログラムの完成度を上げることが大事。3-3が出来なければ3-2を美しくやれば良いだけのこと。私なら難しい技よりも質の良い演技に高い得点を付けたい。でもこれは現在皆がしていることとは逆のこと。高難度の技により高い得点が出る。スピンは段々ひどくなっている。のろのろとトラベルするスピン。速く、軸のずれない美しいスピンは今では何の得点にも結びつかないのだ。そして醜いスピンが高得点、難しい変化をすべて取り入れているという理由で。

---特に嫌いでフィギュアスケートからなくなって欲しいと思う技は?

◆ シットスピンのいろいろな難しく、酷いポジション。お尻を上に、頭を下にするスピン。あれをペアがやると2つのお尻が突き出しているの。禁止にしろとは言わないが選手がそれを強要されることがないように。それをしないとレベルが取れない、ということが問題。さらに憂慮すべきは、これらのルールがトップ選手を念頭に置いて作られていること。でもフィギュアスケートはMr. タカハシだけではないの。ほかにも何百人ものスケーターがいて、彼らの多くができるようなルールにすべき。そうすれば、Mr. タカハシは彼の素晴らしいプログラムを滑れば良いし、他の選手も彼らなりの、ミスをしないようなプログラムを作ることができる。例えば、サーキュラーステップシークエンスを片足で滑り続けることは大多数のスケーターにとってはとても辛いこと。試合で30人の選手がいたとして、29人がひどい演技で、良い演技をしたのはたった1人だなんて変でしょう?

---過去の記事であなたはヤグディンのMan in the Iron Maskについて、彼が4回転や3回転を何度跳んだか覚えていないが、そのプログラムの感情や情熱は覚えていると書いていた。そのようなプログラムは現行システムで可能だと思うか、それとも無理だと思うか?

◆ このシステムではそのようなプログラムを作ることは非常に難しい。Mr. タカハシはそれができる一人だが、他の選手はもっと技術的になりがちだ。

◆ もう一つ、以前は何度も優勝する選手がいて覚えやすかったが、今では優勝した選手が次の試合で15位ということもあり、結果はその日の出来次第。現時点で誰が本当に強い選手なのかが分かりにくい。過去にはミシェル・クワンや荒川静香など、誰もがチャンピオンと分かるような選手がいた。今はそれがない。

---しかしあなたは、現行システムの良い点として、ショートで失敗した選手がフリーで順位を挽回できること、とも書いているが?

◆ でもそれは旧システムでも起こりえたこと。その時はジャッジの多数決で順位が決められた。これはコンパルソリーがまだ行われていた頃、その影響を少なくするために始められたもの。(後略)

◆ コンパルソリーを廃止した理由について:コンパルソリーフィギュアは練習のためのもの。バレリーナがスカラ座で踊るとき、毎日の練習を見せたりしない。ピアニストもコンサートで指の練習曲を弾いたりしない。それと同じこと。フィギュアは以前とは変わったが深いエッジを使ってターンすることはやはりスケート競技では大切。だがそれを試合で採点するのは非常に時間も経費もかかり、TVで見せても面白くない。またコンパルソリーの点が悪かったために、他の演技が素晴らしくても勝てない選手がいて、誰も理解することができない。そこで廃止することにした。多くの連盟ではそれでも基礎として残していたのだが、今では完全に消し去られてしまい、それは良くないことだ。各国の連盟は、何らかの形でコンパルソリーをテストに採用するべき。今では子供がスケートを履いた途端にジャンプを跳ばせ、一回ターンができたらすぐさまスピンをさせるという具合で、それは大きな間違いだと思う。

---アイスダンスでもコンパルソリーダンスが廃止されたが?

◆ それも間違いだと思う。今はダンス選手たちはまだエッジを使う練習をしているが、数年後ワルツなどのダンスを覚えなくても良くなったら、彼らのスケーティングがどうなってしまうのか?現在ショートダンスはコンパルソリーとオリジナルダンスを組み合わせたものになっている。アイスダンスは本当に大きく変わってしまった。以前とは別のものに見える。アイスダンスは全く好きではなかったが、最近少し好きになってきた。なぜなら、少なくとも彼らは音楽に合わせて滑り、何度も転んだりしない。私にはフィギュアスケートよりもアイスダンスの方がより魅力的に感じられるようになってきた。

---採点システムがこのままで、スケート競技に未来はあるか?

◆ このままなら未来はない。システムを簡易化する必要がある。Cinquantaでさえ複雑すぎると言っていると聞いたので、変わることを期待している。ISUのトップが変わる時、誰かが勇気を持って改革を唱えてくれるかもしれない。私たちには100年以上も前から6点満点システムというものがあった。それは完璧ではなかったが、フィギュアスケートが主観的なスポーツである以上、完璧な採点法などないのだ。ストップウォッチで測れれば良いがそれは無理なのだ。新旧の採点法の良い所を合わせれば、改善されるはず。でもそれは現システムのようにその後の影響を考えずにたった一日で作られるべきではない。新しいリーダー達は多くのコーチやさまざまな意見の人達と話し合い、2つのシステムの長所を融合する必要がある。それまでにあと何年待たなくてはいけないか知らないが。

---現在の状況についてどう思うか?かつて長きにわたりISUの指揮を執っていたあなたが今は外から眺めるだけだ。落胆はしていないか?

◆ (World Skating Federationを立ち上げた後ISUから追放された)当初はがっかりしなかったとは言えない。数年はフィギュアスケートが恋しくて仕方が無かった。だが多くの人から感謝や愛情、尊敬の言葉をもらって信じられないほどだ。世界中のコーチが今でも毎日私に意見を求めて来る。選手もだ。もう何年も経っているのに、これは本当に嬉しく、大きなご褒美のようだ。彼らは口を揃えて言う、この美しいスポーツに何が起こってしまったのか。ISUの雰囲気はすっかり変わってしまった。私たちは共にグループとして仕事をしていた。今では独裁者がいて誰も怖がって声を上げることが出来ない。コーチ達が「ソニア、これは悲劇だわ。どうしたらいい?」と手紙を送って来るので私は「声を上げなさい」と返事をする。だが彼らは「それできない!罰せられるのが怖いし、教え子たちが被害を受けるかもしれない。もしかするとテクニカルスペシャリストとしてもう呼んでもらえなくなるかもしれない」誰かが声を上げなくてはいけない。でもそれが誰なのか、私には分からない。

◆ 息子がISUにいて微妙な立場になるのを防ぐため、私たちはフィギュアスケートについて話し合うことはなるべく避けている。彼は彼なりの役割がある。

---将来、フィギュアスケートが独立した国際連盟を持ち、スピードスケートとの関係を断ち切る可能性は?

◆ 非常に重要なことだが、それにはISUの3分の2の賛成が必要。スピードスケートのメンバーは絶対にフィギュアスケートとの分裂に賛成しない。彼らの経費は全てフィギュアスケートから捻出されているのだから。スピードスケートはTVの放映権も何もない。すべての収入はフィギュアスケートからだが、その半分以上がスピードスケートに使われている。だから当然分裂には反対だ。アメリカ、カナダ、ロシアなど強力な連盟が動けば、可能性はあるが、新しい連盟を作りISUと戦争を始めることになる。簡単ではない。

---それがあなたがWorld Skating Federationでやろうとしたこと。

◆ そう。2003年にね。私たちはナイーブ過ぎたかもしれない。複数の強力な連盟からのサポートがあったが、いざという時になったら彼らは手を引いてしまった。だからWSFは誕生さえしなかった。発表があり、そして消えてしまった。

(夜が明けて来てしまいましたので続きはまた後ほど。。。)

**************