東日本大震災から2年。
あの日、次男を抱きしめ揺れがおさまるのを待ちながら、聡太郎の遺骨を持って逃げられない…と考えた瞬間を思い出します。
夜の22時過ぎまで続いた停電。
テレビをつけた瞬間、気仙沼の燃える海を見て、何がどうなっているのか理解するのに時間がかかった記憶。
被災された方々の忘れないで欲しいという願い。
忘れないでいてもらうためには、当事者として声を上げ続けることは大変な事だと思います。でも、声をあげれば、人は必ず応え続けててくれるのだと思います。
私は聡太郎のことで、それを皆様に教えて頂きました。
ただ、本当の悲しみや痛みは当事者にしか分からないのも現実だと思います。
それでも、自分のために、家族のために、喪ったもののために、やっぱり頑張って笑顔で生きて欲しいと願ってしまいます。
聡太郎の月命日に、被災された方々と聡太郎を想って。