健康を喪失した日 | そうちゃん日記 

そうちゃん日記 

聡太郎は生後10ヶ月で拡張型心筋症と突然診断されました。
海外での心臓移植手術を目指した日々。しかし、移植手術を受ける事は出来ませんでした。
経験しなければ伝えられないことがあることを感じ、聡太郎の残した何かを伝えられたらと思います。

先日、リッキーが朝食の時に…
こっちからだとお兄ちゃんが見えるから、こっちに座ったの。と、私に話しかけてきた。
ふと思うことがあり、「リッキーのお兄ちゃんは誰なの?」と、聞いてみたら…リッキーはキッパリ「そうたろうくん。」と聡太郎の写真に目を向けて答えた。
リッキーにとってのお兄ちゃんは聡太郎で、最近、リッキーが発する「リッキーはお兄ちゃんじゃない!お兄ちゃんにならないっ!」と言っているのは、自分にとっては聡太郎がお兄ちゃんだと思っているからなのか…。と、感じた。

次男の心にどのような存在として聡太郎が生きているのか…私には分からないけれど、次男の言葉からは「聡太郎が次男にとってのお兄ちゃんになっている」ことは感じられるので、大切にして欲しい。



聡太郎の病気が分かったのが、この6月29日の深夜だったと記憶している。

あの日、「私が自宅で看れる範囲を超えた。」と感じた聡太郎の辛そうな表情。夜間に連れて行った病院の暗かったレントゲン室への廊下、出来上がってきたレントゲン写真に映った聡太郎の心臓の大きさへの驚き。
検査前に「入院出来ますか?」と聞いた私に「吸入して楽になれば家に帰れますよ。」と答えていた先生の表情と声色が一変していた、検査後の結果説明。

私が、聡太郎が健康であると信じて疑わないでいられた心を喪失した日。

あの瞬間の様々な感情は、忘れてはいけない感覚だと、この時期には改めて思う。



この日だからか、今日、車を運転している時なのに、フッと思ったことが…。

生きている人に「死は悪くないこと。」と言うのは、おかしいのかもしれない。でも、やはり、聡太郎の死を考えると死は病気に負けるとか、不運なのではなくて、必死に生きた上で訪れる寿命だったのだと感じる。

一生懸命に生きるからこそ死にたくないと思うのかもしれない。

でも、一生懸命に生きて、一生懸命に死と向き合えたら、やっぱり幸せだと思う。

聡太郎が一生懸命に生き、その先に死を迎えたからこそ、遺された私たちは聡太郎を誇りに思い続けていられるし、現実を受け入れられているようにも思う。

生きていて欲しかった。
私の生きる時間に変えて、聡太郎に生きて欲しかった。
その願いは叶えられなかったけれど、今、振り返れば…聡太郎との時間は、あれ以上もなく、あれ以下もなく、あの瞬間瞬間が最大限だったと思えていて、そう思えていることが本当に幸せだと感じられる。

一生懸命に生きて、一生懸命に死を迎える。
その姿は、時に…美しい姿ではないと思う。必死になって、あがいたり、文句を言って泣いたり騒いだり。
それでも、最期に、頑張ったよね。これ以上は無理だよね。と、自分の心で感じて死を迎えられたら…と思う。

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