アレンジフラワー

オーラの泉を見てたら、
江原さんが、
「よくみせようじゃなくって、自分との対話だよね」
書道は、自分との対話だよね。

って、いっていた言葉、


うん。確かに、
心の中が意識することのできないレベルで乱れているときは
文字のバランスがへんだったり…、あれ?こんなに字って下手だっけ??と、自分につっこみたくなる時があります^^;


「文字」って、その人の人柄とか、
その人のこと、そのまんま、あるがままが出るような気がしますw


そして、「よくみせようじゃなくって、自分との対話だよね」は、
書道以外にも、いろいろ当てはまるな~、ってすぐに思いました。



何かを表現するとき、

よくみせよう

って頑張りすぎないほうが、素直に伸びやかに表現できることが多いように思います。


スポーツなんかも、格好よくみられようってするより、
自分の感覚、5感を研ぎ澄ませて…
自分と対話しながらのほうが、いい結果がでるように思います。



もちろん、状況によって、「みられてる」という緊張感をもつことは大事ですけどね。

「みられてる」という意識で姿勢をすっと伸ばすことができますし、身なりを正すことができたりします。

会社に行って外部の人との接触があるなら、露出が高い服装はNGだけど、夜の仕事ならそのほうが良かったり。



どっちが良くてダメとかじゃなく、
生きていくには、よくみせようという感覚も、そのまんま・ありのままでいる感覚も、ほどほどのバランスで両方必要だと思うのです。



私のシゴト(ボディワーク)においては、「自分との対話」は、そのまんま自分の対話であり、カラダとの対話、ココロとの対話です。

治す、治るとかじゃなくて、

カラダから発せられてるメッセージを言葉にして伝えたり、何も言わずに、そっと手をあてるだけだったり。

「ここが、こんなに頑張ってカラダを支えていること」を伝えて、気づいてもらったり、

カラダに聞いてOKだったら、押し付けじゃなく「安心して緩む」お手伝いとなる施術をさせてもらったり。



※美容カイロは、目的と意図をはっきりさせて施術するので…、ちょっとだけ「こっちに移動しようね~♪ はい!懐かしいこの場所に帰ってきてもいいのよ~♪」と誘導しますがwww


(現在、参加中の講座のほうMLには、シゴトとしてお金もらって施術させてもらってたりする私なので、なんだか思うことを書きづらくて…日記で書いちゃいました^^; もしかしたら私、MLって苦手なのかもwww)