天地光明です。
前回に引き続き、
人生に幸運をもたらし続けるために、どのようにしたら物事への不快感が少ないように捉えることが出来るのでしょうか?
あなたは今までどのような物語がお好きでしたか?
映画、ドラマ、漫画、舞台、小説、なんでも構いません。
少し考えてみてください。
今まであなたがお好きだったどんな映画でも、ドラマでも、漫画でも、舞台でも、小説でも、または人生でも、悪役が出てきますね?
ハプニングや様々な刺激も悪役として捉えるとすると、必ず悪役が出てきます。
では、それらのすべての物語や人生を含め、悪役が出てこなかったらどうなりますか?
物語として面白くなさそう、成り立たなくなりそう、と思うのではないでしょうか。何の変化もない、極めて単調な世界であると言えます。
そう考えると実際は悪や善という呼び方もなく、精神性が高いか低いかで判断され、その中に無限の階層が存在しています。
精神性が高い人は低い人をみて、そうなったらよくないんだなぁと思い、自分を戒め律します。
精神性が低い人は高い人をみて、そうなったら幸せそうだなぁと思い、成長しようとするでしょう。
はるか昔から地球も生命も進化しつづけていますね?それはみんなばらつきがあるからこそ、追いつき、追い越せで磨きあってこれたからでしょう。
ではすべての物語や人生も含め、悪役が出てこない状態というのはみんな横一線な状態です。誰も磨かれず、誰も成長できません。
ということはそもそも、悪役という呼び方自体が間違いだということがお分かりいただけたと思います。
それらがなければ、誰も磨かれず誰も成長できないのですから、それら悪役と呼んでいたものは全て「学び」と呼ぶべきでしょう。
つまり、どんな物事も「学び」であるならば、それに対して不平不満を言ってもしょうがないとは思いませんか?
なぜなら不平不満というのは、あなたがその「学び」を乗り越えていないときにしか出てこないからです。
すでにあなたがその「学び」を乗り越えていれば、それはあなたの糧としてだけではなく、あなたの周りにいる方すべてにあなたが成長したことによって良い影響を与えているはずです。
そして、あなたは過去の「学び」に対して不平不満を感じることなく、今の自分がその「学び」を乗り越えたことによって存在していることに、多かれ少なかれ感謝できるようになっていることでしょう。
そんな経験は多くの方が持っているものです。
では、結局いずれ感謝するのならば、まだ乗り越えていない「学び」に対してあえて最初から、感謝してみるのも一つの手です。
みんなが幸せでありますように。