こんにちは。
目標以上の成果を発揮するメンタルトレーニング・なつめれいなです。
今更ですが、柔道の暴力問題について書いてみたいと思います。
私自身も柔道に携わっていますし、あまりこういうことは書きたくないのですが、全柔連の上村会長を始めとした理事が取った行動はみっともなさ過ぎました。
正直、「これが私が憧れた柔道家の姿なのか?」とさえ思いました。
ここで書きたいと思うのは、「武道・スポーツが人格形成につながるのか?」という疑問に対する私なりの答えです。
結論から言いますと、技術の向上と人間性の向上に相関性はないです。
これは断言してもいいです。
「人間は影響されやすい動物である」という観点に立つと、指導者の考え方にもよると言ってもいいでしょう。
もちろん、本人の持つもともとの性質もあるのは言うまでもありませんけれど。
柔道をはじめとする武道には、こういう言葉があります。
「礼に始まり礼に終わる」
私がどの師にも教わったのは、「相手を尊重しなさい」ということでした。
尊重するというのは、「敬意を払う」ということにつながります。
それは、「道場を使わせていただいていることに感謝する」、「練習をしてくれた相手に感謝する」ということでもあります。
礼ができていなかったらやり直しということも頻繁にありました。
本来はこれが「下から上」だけでなく、「上から下」へも行き届いていないとおかしい訳です。
しかし、実際は「下から上」への敬意だけとなっていることが非常に多いのです。
上下関係を否定するわけではありません。
でも、それは「目上の人に敬意を払う」だけで十分だというのが私の考えです。
その上下関係を悪用して、「黒いものを白と言え」とか1年をゴミとか虫けら、2年を奴隷として扱うようなのが健全とは思いません。
高校生の頃、「『先輩に敬意を払え』というなら、敬意を払いたくなるような行動を見せろ」と言って大喧嘩になったことがあります。
実際はそこまで激しい口調では言いませんでしたが、同級生からも後輩からも、先輩からも無視されてしまいましたね。
でも、間違ったことは言ってないと思ったので、堂々と道場に行っていましたし、最後まで自分の意見を曲げることはしませんでしたね。
私自身、同調行動が取れないところがあるのですが、そういう体質に嫌気を感じたことを覚えています。
柔道にかぎらず、すべての指導者の方々に、もう一度考えてほしいことがあります。
「敬意を払う」というのは、どういうことでしょうか。
「下から上」への一方通行になってしまっていませんか?
「上から下」へは敬意を払う必要はありませんか?
敬意まではいかなくとも、尊重はできませんか?
もう一度、そういうことをよく考えていただきたいですね。