私は東北に住んでいます。


2011年3月11日の東日本大震災


私の職場は港から約1キロの範囲にあります。


職場は勿論、その周辺は津波により、甚大な被害を受けました。死者は商圏の中で約700名と聞いています。


当日は私は休暇日でした。地震発生、大津波警報発令後すぐに従業員全員避難完了の連絡が入り、

その後私は、停電や電話の不通などで情報を入手できない状況でしたので、

津波の規模を過少に判断してしまい、車で職場へと向かいました。


停電のために信号は全て消えていて、交通誘導の警察官も一人もいない状況でした。もちろん大渋滞です。車の中でのラジオからの情報やワンセグ放送で、徐々に ただ事ではない、大変な事が起こっていると認識しはじめした。


「○○地区で300人の遺体が発見されました」


○○地区は私の職場のお客様が多く住んでいらっしゃる地域です。

どうせガセネタだろう…情報も錯乱しているのだろうと、その時はまだ信じられませんでした。


ウラ道を使いながら、なんとか職場まであと数キロの地点に来た時に、目の前には完全に浸水した住宅地が…私の車もどんどん浸水して行きます。


夜だったのでライトよりも上まで水に浸かり、辺りが暗闇になってしまい、さすがにまずいと思い、

一度車から降りて、膝まで水に浸かりながら通行止めのために立てられてバリケードをこじあけて高台の方走りました。


職場にたどりつく事ができたのは翌日です。唖然としました。ライフラインは全て遮断、消防、警察、自衛隊の車両がならび、職場には、走って逃げたのか、津波で流れ着いた無人の車が転がっていました。この時にはじめて全てが事実だったと認識することになりました。


脳梗塞ガソリンスタンド店長のサラリーマン日記~人生にリタイヤは無し~
脳梗塞ガソリンスタンド店長のサラリーマン日記~人生にリタイヤは無し~

お店には、家族を探しにきた方や、避難した家族を迎えに来た方達、保育園で一晩避難していた子供を迎えにきたお母さん達が数十名いて、なんとかガソリンを入れられないかとお願いされましたが


私自身も気が動転している状態。


電気も無い場合では、すぐに給油は出来ません。全て電気で設備を起動させます。


頼みの緊急用発電機は津波の浸水で作動することはありませんでした。


ただ、私は、すぐに「無理」という事は普段から嫌いです。


ふと、緊急用可搬式ポンプの存在を思いつきました。


発電機は落雷等、数時間の停電時に使用することは普段から想定されていましたが、手回しポンプを使う事態など、そんな事が起きることなどは予想していません。


まずは、「どこにあるのか」の状態です。


20分ほど探して、ピット室の二階の奥の奥に。


組み立て式で、付属のホース、ノズルなどの部品もしっかり一緒にありました。


機械を設置して、ノズルからガソリンが出た瞬間は、まるで砂漠でオアシスをやっと見つけた時のような感じでした。


でも私は一人です。待っているお客様は数十台。給油をはじめれば一気にならびます。


緊急用可搬式ポンプは4回転で1リットルしか入りません。しかもノ手動ハンドルも重い。


そんな状態の私を見かねてか


その時、お客様の中に常連さんが


「ガソリン入れたい人!店長を手伝ってくれ!」


と周りのお客様に声をかけてくれました。


すると数人の男性がかけつけてくれて、なんとか、交代で給油作業を継続することができました。


その後は、同業の方はわかると思いますが、


おそらく100台以上の車両が並び、それを整理する人員もいません。

私も含め、手回しで給油する方の体力にも、限界があります。


お客様も何時間も車内で待っています。状況が状況です。まともな感じではありません。まるで暴徒です。


警察も全く機能しない状況で、治安の保証はありません。


それが原因で、消防、警察、自衛隊車両の通行を妨げてしまう事態に。


周辺は被災地です。最優先は人命で、協力しなければなりません。


給油をストップせざるを得ませんでした。数時間ならんでいるお客様1台1台に声をかけました。


念のため、万が一の時のため、護身用のバットを持って。



数日後、お店に備蓄していた食糧、水、ガスボンベ等を近くの避難所に持っていきました。




現在はふつうに、何事もなかったかのように周辺の商業施設も営業しています。


ただ、万が一の時に、どうすれば混乱なく、日頃お世話になっている周辺住民の方達の役に立てるか


SSとして地域に対してどう貢献し、厳しい中でも皆さんの生活にどう役に立てるか


を考えています。






もう、あんなことは二度と無い事を願います。


無いでしょうけど




まずは自分の体を治さないとですけどね。