どうも、TOMOTです。




雨天日の隙間に酷暑が挿し、いよいよ夏の気配が強まって参りました。

スコールのような雨も相まって湿度が常時ものすごく、体感温度が非常に高いのでクーラーのありがたみを強く実感致します。


さて、先週と同様に今週もあまりブログ用お写真は撮れておりませんので、手元にある分だけざっと掲載して今週のイリナの様子をお伝えさせて頂こうと思います。





何か書いている率高めですね。笑


最後にエレメンタリーのお写真を1枚。

開講日2時間のうちラスト30分を自由時間にしているのですが、その時の様子です。
左側のペアは将棋、右側のペアはタイピング練習をしておりますね。
どうしてもこのお写真は掲載したくて、なんとか全員が後ろ姿になる瞬間を狙ったのですが、このお写真の何が良いかって"歳上の子の姿勢"ですよね。
歳下の子に寄り添うのはもちろん、歳下の子がわからない部分に対して、必要以上に手は出さず的確な指導をしてあげているところです。
幼稚園よりさらに広い世代で縦割り状態になるエレメンタリークラスにおいて、こういう瞬間は本当に教師要らずというか、子ども達が生徒であり教師になる素晴らしい光景を目の当たりにすることが出来ますね。
だからこそ私も棒立ちで撮影タイミングを見計らえますし、私が必要になったらそのタイミングだけ動けば良いので、そういった意味でもすごく自立的な子ども達であり自立的なクラスですよね。

「自立自立」ってよく言いますけれども、自分の身の周りのことが出来ることも自立ですし、自分で決断して行動することが出来るのも自立ですけれど、私は"究極的な自立"とは"誰かの為に自分の能力を差し出してあげられる状態"を差すのではないかなと思います。
自分のことを自分で出来るのはもちろんのことですが、独りで生きることが出来ない人間という生命において、自分のことと同じように相手のことを生かしてあげられるひとこそが本義的な意味で"自立した生命"のように感じられるからです。
もっと咀嚼して言えば、自分独りだけで立つことの出来ない生物である人間が「自立」を語るのであれば、そこには"他者の存在"が必要不可欠となるわけですね。
相手を助けることで自分が助けられることもあると思いますし、これは私の祖母や大伯母の受け売りですが、「受けたひとに返すことだけが恩返しではありません、受けた恩で貴方の周りのひとを助けてあげなさい、それが私達の喜びです」という非常に高次元な域へと達すること、これこそが"究極的な自立"の先にある"愛情"の世界の話なのだなと私は思います。
世界中の人々がそんなふうになれば、相手を生かす行動とは対極に位置する、戦争も貧困も略奪もなくなるのでしょうね。
私もまだまだ未熟なので他人のことは言えませんが、教育現場で自分の能力を子ども達に差し出すことで少しでも周囲へ御恩返しすると同時に、子ども達と一緒にたくさん学びながら"自立した生命"となれるよう精進していきたいと思います。



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以上、まだまだひよっこなTOMOTからでした。