このブログでの投稿はこれで最後です。

 

 

このブログは書かせていただいた通り

 

削除をしないで残します。

 

残しますが、新しい投稿はしません。

 

過去記事の限定記事を可能な限り

 

公開に戻す作業をこれからはやっていきます。

 

 

 

 

このブログをやめてしまおう、と思ったことは

 

今回が初めてではありません。

 

真剣に考えたのは今回で3度目。

 

1度目はアメンバーの誰かが私のインスタのアカウントを

 

掲示板に書き込んだときでした。

 

それによって私の顔写真が漏れ、容姿に関して中傷を受けました。

 

そんなことをやって何が楽しいのか理解出来ませんでしたが

 

とにかく怪しい人物をアメンバーから外しました。

 

「ブログを休止していた他の何名かも一緒に外しました」

 

とブログに書いたのに、

 

該当人物は「犯人扱いされた」と掲示板や自分のブログで大暴れしました。

 

大暴れすることこそ、漏らした事実を認めているようなものです。

 

とにかく、そんなことがあったから

 

アカウントを削除したい衝動に狩られました。

 

けれど、寸前で思いとどまって

 

全ての投稿を限定記事にしました。

 

私の古い投稿のほとんど全てが限定記事になっているのは

 

そうした理由からです。

 

 

 

2度目は

 

何かで恨まれたのでしょう。

 

私の成りすましブログが現れました。

 

私の顔写真がプロフィールに貼られ名前は本名(旧姓)です。

 

さらに息子の名前勤務先が書かれていました。

 

さらにさらに私のフェイスブックの写真が記事に貼られ

 

私が書いたように装った記事の中身はひどいものでした。

 

私が私の自慢をしているようで、馬鹿にしていました。

 

私だけを揶揄しているのではなく夫のことまで

 

酷く馬鹿にしていました。

 

貼られた写真は、私の大切なひとたちとの思い出の写真でした。

 

成りすましブロガーは、私の いいね! の履歴から

 

私の読者さんのブログに いいね! を付けて回ります。

 

私は読者さんに教えていただいて、それを知りました。

 

ですから、実際に成りすましブログを読まれた方は

 

十数名だと思います。

 

私はすぐに警察と弁護士に相談をして

 

相談内容と結論は省きますが、その後、すぐにこのブログは

 

アカウントごと削除され消えました。

 

後日、この成りすましブログでさえ、

 

実際に私が書いたものだ、とデマが流れました。

 

つまり、私が嘘をついているって。

 

 

 

このことがあった後も、私はこのブログを削除しようと

 

本気で考えました。

 

けれど、出来なかった。

 

 

 

出来ないんです。

 

出来ない、と書けばまた

 

ツクネはブログに執着している、と書かれます。

 

それでもいいんです。

 

だって、ここは私の日記です。

 

10年間の私の日記です。

 

何年前のあの日、何をやっていたかなあ

 

って、今でも過去の記録を読むことがあります。

 

懐かしいです。

 

あの日の私はこんなことをしていた

 

こんなことを考えていた、

 

過去の私に出会える場所です。

 

 

上述したことをされても

 

掲示板でさんざん悪口を書かれても

 

削除なんか出来ないんです。

 

 

 

掲示板には私のスレッドが立っています。

 

公式ブロガーでもなく

 

特に上位のブログでもないこのような瑣末なブログに

 

専用のスレッドが立つのは異例のことらしいです。

 

それほどまでに、私は世間から嫌われているんだって

 

今頃やっと気づきました。

 

 

このブログを読んでくださる方の大半は

 

好奇心や嫌悪から読んでいるのだとしたら

 

私はもう、その悪意には耐えらない。

 

でも、削除は出来ないんです。

 

 

 

それでも、掲示板は、私が覗きさえしなければ

 

「ない」ものに等しいのです。

 

気にしなければいいのです。

 

けれど、私に粘着した、実際に「ある」ブロガーは

 

私の悪口を、実在する人たちに言いふらします。

 

私は人に悪口を言いふらす気持ちがわかりません。

 

私は群れるのを好みません。

 

人の悪口まで言いふらして、仲間を増やす行為どうしても理解できません。

 

だって、私は1人を好む人間ですから。

 

 

ですが、理解できなくとも

 

そうやって、私に粘着をして

 

悪口をあちこちに触れ回る人物がいるのは確かです。

 

具体的にはMさんですか。

 

Mさんは、気に入らないブロガーをそうやって

 

何人もブログ閉鎖に追い込んだらしいです。

 

私のブログに粘着していたKさんDさん

 

そして私の友人のFさんとトラブルになっていたHさんに

 

甘い言葉を囁いて仲間に引き入れて

 

私の悪口をさんざん吹き込んだそうです。

 

 

上記とは別の方も証言してくださいましたから

 

実際にはもっと多くの方に私の悪口を陰で吹き込んでいたのでしょう。

 

 

掲示板に書かれているだけでも痛手なのに

 

実際に活動している人間が今度は相手です。

 

この者たちは、もちろん掲示板にも私の悪口を書き込みます。

 

この者たちが、私に悪意を持って蠢いていれば

 

私がどんなに、普段の暮らしを書いていても

 

掲示板の中では、私も「仲間」です。

 

 

1人を好み

 

なんでも1人で行動する私は

 

ママ友さえ、作りませんでした。

 

派閥争い、悪口合戦、裏取引のようなものが

 

嫌いだからです。

 

だから、これが鬱陶しくてなりません。

 

しかも、この粘着が長い。

 

掲示板の悪意は無視できても、粘着は無視できません。

 

 

 

なぜ、無視できない?

 

 

 

それは、周りのブロガーさんまでを

 

巻き込むからです。

 

自分の意見を通したい

 

自分が「いい人」として注目や賞賛を浴びたい

 

その目的のために

 

私に近しい人たちや

 

私を知らなかった人たちまで巻き込みます。

 

 

 

私のブログが存続するために、

 

巻き込まれるひとたちがいる。

 

私の悪口を、否応無く聞かされるひとたちが

 

実際に存在する。

 

 

私にはこれが耐えられません。

 

 

 

 

掲示板での嫌がらせ

 

アメンバーの裏切り

 

個人情報が漏れたり成りすましブログが出たり

 

捏造犯にされたこともありましたね。

 

そうまでしても蹴落としたかったのでしょう。

 

 

 

今まで散々な目にあっていても

 

このブログをやめることはできませんしたが

 

もう

 

実際のブロガーにこれほどまでに執拗に嫌われ

 

追い込まれた

 

しかもこんなに長期間

 

私にはもう無理です。

 

 

 

だって理解が出来ないんです。

 

私なら、嫌われたり批判をされれば

 

その人から離れてその人を忘れます。

 

いいね! が付かなくなった時点でさえ

 

私には興味がなくなったのだ、と解釈をして

 

その人から離れます。

 

 

大げさに言えば

 

他人にあまり執着しません。

 

好きなブロガーさんのブログを何年も読み続けていても

 

もし、嫌われてしまったら、そこから去るだけです。

 

だから、逃げた人を他人に成りすましてまで追いかける心理は

 

私には到底理解不能です。

 

 

 

 

 

本題からずれてしまいましたが

 

そこを語らなければ終われませんから

 

許してください。

 

 

 

 

興味があって、読み続けていることと

 

粘着していることは違う、と思うんです。

 

存在を表さずに読み続けているのは粘着ではないし

 

その人の嫌がることをしないで読み続けるのも粘着ではないです。

 

私はここで散々吠えますが

 

他者のブログには、その人の嫌がることは書き込みません。

 

メールの受け取りを拒否しているのは

 

裏で、あることないこと聞かされたくないからです。

 

私はLINEもやっていません。

 

粘着しているひとたちが

 

私の悪口をブログに書いていても

 

私には読まない自由がありますから気にしなければいい。

 

けれどね

 

限界ってあるものですよ。

 

 

 

私を限界まで追い詰めたのが

 

Mさん、Kさんってことです。

 

関わってはいけなかったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからやっと本題です。

 

本題だけ、後ほど抜き取って記事にします。

 

 

 

ブログを削除された方たちの心痛心労を思うと遣る瀬無い気持ちになります。

 

私にもMさんの気持ちを焚きつけた責任があるやもしれない

 

と思うとさらに心がいたみます。

 

それを踏まえてでも伝えたいのは

 

ブログを削除してしまった方たちが

 

もし、これから新しいブログを始めたとして

 

今度こそ

 

何があっても、削除はしないでください。

 

 

 

そのとき

 

憤りに震えた感情は

 

いつかは静まります。

 

絶望したかに思えても、気持ちはいつかは癒えます。

 

でも

 

アカウントを削除してしまったら

 

もう、元には戻れません。

 

 

何があっても

 

削除だけは思いとどまって

 

読まれたくないのなら

 

全ての記事を限定にすればいいんです。

 

 

一旦、記事をそうやって隠して

 

ブログから離れて

 

全ての感情が無になる時を待ちましょう。

 

そうしてから

 

ブログの存続を決めましょう。

 

 

 

終了する、と宣言しても

 

気持ちが静まったらまた始めればいい。

 

時を重ねれば

 

追いかけて来た人も忘れてくれるかもしれない。

 

嫌がらせされても

 

静かに待っていれば、いつかは嵐は止みます。

 

そうした

 

わずかな望みだってある。

 

 

 

大切なブログです。

 

その時の気持ちがたくさん詰まっている。

 

時間を惜しむことなく文章で綴った大切な宝箱です。

 

日々の鬱憤や恨みを書き綴っていても

 

文章を書く、ということは尊い作業です。

 

尊い作業をやっていた証がブログです。

 

文章を書くということは、あなたの血液や骨や皮膚と同じように

 

あなたの身体の一部です。

 

だから

 

これからは、削除はどうか思いとどまって。

 

 

 

 

 

 

思いとどまれば

 

何かが変われば、そこに戻れます。