人に何かをした場合、見返りを要求する。
人に何かをすることを選んだのは自分なのだから、見返りは要求しない。

どちらが正しいんだろう。

子どもの頃、私は自分が損をすること(対価を得られなかったり、不公平な扱いを受けること)に敏感だったため、よく、「私ばっかり(損してる)」と、口癖のように言っていた。
今にして思えば、そんな口癖がついたのは、弟が生まれたことで親の関心を自分一人が独占できなくなり、その上「お姉ちゃんなんだからしっかりして」とプレッシャーをかけられて、苦しんでいるところに、弟が甘やかされているのを見て、嫉妬し、母に「もっと私を見てよ」と要求したかったからだと思う。

母は、私の「また私ばっかり」を聞くとイライラしたらしく、私の口癖を止めさせようと、かなり厳しく私を叱った。
怒る理由について、母は、①損得勘定ばかりするような人間は嫌い、②そういう人間は大人になって周りの人にも嫌われ苦労する、と言っていた。

一見、もっともな理由だと思う。
確かに、今の私は、損得勘定ばかりする人は嫌いだし、そういう人を見ると、もっと鷹揚に構えた方が人に好かれて結局は得なのにね、と思う。
ただ、あの母の怒り方をみると、理由はそれだけでなく、きっと、心の中で感じていた罪悪感(弟のことで精一杯で姉の私まで面倒を見たくてもできない、といういっぱいいっぱいな状況)がそうさせたんじゃないかと思う。

だが、子どもの私にそのような母の心情まで理解できる筈もなく、私は、ただひたすら、口癖を止めることに精一杯だった。
そして、損得勘定は悪いこと、という強い刷り込みができてしまい、そこから派生して、人に見返りを求めることも良くないことのように感じるようになった。

一方で、人に何か利益となることをして、見返りを求めることは、本当にいけないことなのだろうか、という疑問も、常にあった。
見返り=対価を否定するようでは、ビジネスなど成り立たなくなってしまうからだ。

この葛藤は、今の仕事を始めて、より顕著になった。

私の仕事の商品は、モノではなくて自分に投資をして努力して得た専門知識や経験値といったサービスだ。
たとえ身内や友人からのお金にならない「ちょっと教えて」という質問でも、プロとして答えている以上は、有料の法律相談と同じレベルの回答をする。それがプロの責任だから。

無料で答えたことについては、私自身が、その人との関係性や恩義に答えたい気持ちや助けになりたい気持ち等を考慮して、長い目で見れば自分にとって得(経済的利益に限らない)だと判断した上での行動だ。
つまり、お金の見返りは求めない、と自分が決めたことだ。
これ以上は無料でサービスはできない、というときは、その旨きちんと話す。

それでも、私は、感謝をして欲しい、と思ってしまう。
お金を要求しない代わりに、気持ちを要求してしまう。

こういう風に考えることも、見返りを求めることになるんだろう。


見返り云々については、長い間、私の課題だった。
だが、なかなか、これという答えが出ない。気持ちがしっくり落ち着いて、かつ、納得できる理屈も立つところまで至らない。