おはぎ二歳! 私も母業二歳!!

いやー、感慨深い。
もしかしたら、一歳の時よりも、
あれこれ 回想している かもしれない。

うん。やっと当時を じっくり振り返るほどの 余裕が
私にも 出てきた、ということなのかな。

今や すっかり おはぎとの 生活は
”当たり前の日常” に なっている。

が、少し前までは 子をもつこと自体 夢のような話しだった。

そう、自分が 赤さん待ちを していたことが
遠い昔のような 錯覚に おちいるほど
おはぎとの 暮らしは ”日常”になっている。

おはぎを 授かるまでの アリスと二人の日々は 10年超。
そう、夫婦二人での 歴史は 長い(笑)。

だのに、おはぎとの ほんの2年ほどの 月日は
その10年をも 越える感覚で、
なんだか おはぎとは ずーっと一緒に暮らしていたような
不思議な 感じだ。

実は それは 私だけでなく アリスも 同じように
感じているようで、以前から たまに

おはぎとは ずっと一緒にいるみたいだよネ~。
という 会話は なされていた。

そういえば 先日 アリスが

もう おはぎの いない生活なんて 考えられないよね、
だか 考えられないでしょ、だか 言っていた。
(同意を求められたか、問われたかは 忘れた。)

本当だよね~。

と こたえた 反面、私的には

なにを いまさら?

とも 思ってしまったりなんかして(笑)。 

でも、そらそうなのかもしれない。

私は おはぎが タマゴの状態から 一緒に居た訳で。
タマゴから人への過程においても、おはぎの邪魔をしないよう、
細心の注意を払って 過ごしてきた訳で。

おはぎが 生まれた直後からも 苦楽を共にしてきた訳で。

おはぎは この世に 慣れよう、馴染もうと頑張り、
私は おはぎの ママになろうと 頑張り、
お互い 必至に(←大げさ)助け合って(←多分)ここまで きた訳で。

勿論、アリスの 協力も不可欠だったし、居る時は 
かなりの 戦力にも なってくれていたが、
(平日は 朝も早く、夜も外ご飯が多かったが。)
本当の意味での アリスの 父性、というのが 出てきたのは
おはぎとの コミュニケーションが 成り立つようになってきてから、
つまり ここ数カ月 か 最近、というような 気がする。

だので、昨今に 今さら!先のような 発言が 出たとしても
本人の 悪気のない(笑)正直な 感想な訳で。

私とて、最初から おはぎを 魂のカタワレ と
実感できていた訳では ない。 と思う。  


不思議と、おはぎが この世に誕生した その瞬間から、
まだ なんのコミュニケーションも 行われていない状態から、
おはぎの いない人生など 考えられなくなっていたのだが、
それでも 最初は 「生き物」(笑)。

この子の事は 己の身をすててでも 守る。

そういう 当たり前の母性も、思ってはいても、
生後しばらくは ”実感”が 伴わなかった。

子供の為なら 自分の命も顧みず、という事を、
当たり前のように 言い切った 先輩ママさんの言葉に、
賛同は するものの、自分の中では 力説できるほどの
実感は なかった。

そう、当たり前のように・・・というかなんというか、
世の母さま方は皆、我が子に対して そういう思いがあり
勿論、私も同じ(笑)、という前提で 話がなされていて、
自分の中では 頭では 理解しているものの、やはり 実感が
伴わず、微妙な 違和感を 覚えたことを 記憶している。
(これは、母親とパパ(男性)とでは 感覚が違うんだよね~、という話からの言葉)

それが いつしか おはぎは 私の中で かけがえのない存在となり、
今では、たとえ火の中 水の中!

彼女の 為なら どんだけでも 体はれる。
彼女を 守る為なら 我が身など 惜しげもなく投げ出すぜ。

心の底から そう 確信をもって 言い切れる。 

そう、「とっさの」場合でも、本能的に 体は動き、
瀕死の状態でも 無意識下で 彼女を かばうだろう。

ゆるぎない自信をもって。
そう 言い切れる自分が なんだか 嬉しく、
そう 言い切れる現状が とっても有難く、
そういう 想いを 感じられることを 心から幸せに思う。


  
その2(赤さん待ち時代の回想)に 続く

”あいしている”の言葉が ぴったり当てはまる相手は、我が子だったようでございます(笑)。
(日々、アイラブユーと 語りかけております。というか 言わずにはいられない(笑)。)
本当に 色んな事を 思い出すと なんとも 感慨深いです。
こんな当たり前の日常も、ちょっと前までは 別世界の事だったのかと思うと、
本当に不思議な想いがいたします。
本日もご来訪&ちょっとおセンチな記事に最後までお付き合い頂きありがとうございました!!