「発信する!尚禮舘空手を沖縄から」


師 渡口政吉先生の沖縄本来の文化としての「尚禮舘空手」を約束の地「沖縄」に還す為に道場を設立し発信する活動しています。


🟥事務局代表伊覇の沖縄空手インスタグラム🟥




皆さんこんにちは

尚禮舘事務局代表 伊覇@ryoumikuniです。


今日は、尚禮舘ストーリーという事で渡口先生と奥様のお話しをさせて頂きます。


尚禮舘ストーリー





時は1961年。

東京オリンピックを目前にして国民は「復興」の2文字に歓声をあげ浮き足立つ日本社会とは裏腹に

まだ沖縄は戦後の悲惨な爪痕が残りアメリカが脅威の靴音を響かせていた頃。

最果ての南の島「沖縄」から日本の中心東京へ
剛柔流空手を普及する為に移住した渡口先生ご夫妻

それは、当時の沖縄空手界では異質な存在だった。

なぜ、そこまでして普及に力を注ぐ事ができたのか?

表面的には空手の普及だと目に映ります
しかしながら、それはアメリカに打ちのめされても尚、沖縄人の誇りを忘れまいと先人から教わった自分が信じる「空手」という生き方で日本の中心で勝負をする。

「これは個人の私的な闘いではない。沖縄の文化を背負って日本本土へ向けての一世一代の勝負だ!」

渡口先生はそう思っていた事でしょう。

だから絶対に負けるわけにはいきません。

東京での空手普及はそう容易くはいきませんでした。

空手の鍛錬で培った精神力とその肉体で43歳から51歳まで約8年間の間、新宿界隈の神社境内を借り露天道場で指導を続けます。

続く