飯島愛さんがご自宅で亡くなられたことを
ニュースで知りました。。。


心よりご冥福をお祈りいたします。。。





思えばわたしがこのアメブロを開設するとき
ちょうど飯島愛さんが芸能界を引退するころで、
同じアメブロガーとしてよく拝見していましたが


そのころから「うつ」兆候をときおり出されていて
同じ闘病仲間としての親近感を覚えたときのことを
昨日のように思い出されます。





これから正式な死因などが発表されると思いますが、
どんな結果が出たとしても、その真相は本人にしかわかりません。
(さまざまな憶測は飛び交うのでしょうが)


それを踏まえて、あえて「死」について考えたいと思います。





注意※以下、過激な表現が含まれています。
気分の優れないかたは読まずにスルーしてください注意











「こころの病」、とくに「うつ」に苦しむひとにとって
「自死念慮」は避けて通れません。



自分がいる(存在する)から何かがうまくいかないだとか、
逆に無視されていると思い込み自分を知ってほしいだとか、
誰かをひどく傷つけたので死んで許してもらいたいだとか、
逆に許せないことがあって死んで怨みを果たそうだとか、
苦しみや悲しみの渦中で求めている(人生の)価値を見出せないだとか・・・




ただ、原点に戻ってみると・・・


「死」そのものは、
発症者や闘病者だけの課題でしょうか?



健常者も、生きとし生けるものすべての課題だと思えませんか?
(もちろん意識する時間や深さに違いはありますが)





そしてその「死」はいつ訪れますか?




本当のところ、誰にもわからないのです。


よく聞く平均寿命や医師からの余命宣告なんてのも
単なる集計の平均や統計学の結果データの一部でしかないのです。




つまり、その訪れは何十年後かもしれないし、
はたまた明日いきなりかもしれない。





「死」以外も未来に起こるすべての偶発的なことついても
(いわゆる「占い」や「先人の知恵」をもってしても)
その詳細までは厳密にいうと誰にもわからないのです。







もしあなたの人生が明日で終わってしまうとしたら・・・
今日のあなたは何をしますか?





それが明日ではなくて来週だとしたら・・・


来週ではなくて来月、来年だとしたら・・・


いずれにしても、
今日のあなたはどうしますか?








今まさに「自死念慮」と向き合うひとにとって
「死にたい」と思えるくらいとても困難な状況であること
それは間違いないと思います。


しかも逃げ出さずに、そこにいる。




そのとても困難な状況は一日でクリアできるものではないものなら


明日かもしれないし来週かも来年かも、
はたまた何十年後かもわからない実際に訪れるその日までに





やってみたいことがあるならそれをやってみる

まだ試していない方法を試してみる

それとも新しい方法を探してみる
などのサインなのではないでしょうか?




もし探してみて新しい方法が見つかったら
あなただったらどう思いますか?








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先日、わたしの学生時代の友人の奥様がご病気で亡くなりました。
自他共に認める「おしどり夫婦」でまわりの憧れだったのに。。。
一時は職場復帰できるほど快復したのですが。。。彼女は最期まで懸命に生きました。。。