報道に対して憶測を展開するのは

さらに物語を展開させて拗らせていきます。


つまり、報道する人も憶測で話す人も
それを信じる人も同じだなと感じたのです。


善悪や正義を説きたいわけでなく
同じエネルギーだという意味です。


私は
大切なことはどんな出来事に対しても
自分の内側に何を感じたのか
だと思う。


恐れを感じたなら
自分の中の恐怖を映し出した出来事。


疑いが湧いたなら
そもそもその人を信じていなかったから
やっぱりね、となった出来事。


怒りを感じたのなら
自分が大切にされてないと思うことが
日頃からあるのでしょう。


悲しみやショックを感じたのなら
その人に愛着があったということ。


絶望を感じたのなら
自分のアイデンティティの一部だった
ということ。


他にも色々な感じるものがあるはず。


こうして
自分の中に何を感じたのかを
しっかりと自分で受け止めてあげること


ちゃんと恐れて
そもそも疑いがあったことを受け止めて
怒りを心底感じて
心から悲しんで
絶望感に浸ること。


そうすることで全て
自分の中に答えを見つけることができるし

自分にとっての
真実が見えてくることもある。


ネガティブを感じないことが
素晴らしいことだという風潮があるけど

感じないようにすることと
感じなくなることとは大きな違いがあるよね





このことを深く理解していくと

自分にとって悲しい出来事や問題が

問題の次元を超えていくための

目覚めのきっかけになると思います。


実は 人生という夢は、

人生という夢を越えるためにあります




安倍元首相のご冥福を心よりお祈りします