数学的だ | ほぼプロ作家の青空日記

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以前ISBN付きで出版して絶版に追い込まれた本がアマゾンで131.25倍の価格で取引されています。宮城県は福井県に続く第二の故郷となりました。心から読者の皆様を愛しています。[*^_^*]』

ソクラテス「昔から、人は死ぬと地獄に行くと言い、幽霊界に行くと言い、また別に還り来るという。この考えからすると、生存する者は死者から生まれた、ということになる。そうではないか。さらに、これを確かめようとすれば、あらゆるものの『生ずる』ということの意味を考えなければならない。そうすると、あるものはその反対のものから生ずるということを、認めなければならなくなる。小は大より、生は死より、清は濁より生ずる、というように論じられる。そして、今、生はその反対の死から生じた、と言う。これを確認するために色々と比較してみよう。正は不正より、清は濁より起る。このように、あるものは必ず反対のものを生じるが、それが必然の関係であるかどうかを考えて見よ。ある物が大きくなったということは、その前は小さかったことは必然である。強いということは弱いということから起るのも必然である。正しくなったと言えば、そのものは、以前は不正であったのである。したがって、あるものは反対のものから生じるということは明白である。しかし、あるものとその反対のものとの間に中間となるべきものはないのか。例えば、大と小という両端の間には〔小から大への〕増、〔大から小への〕減なるものがある。これと同じく熱する、冷めるなども同様である。つまり、物の変化というものが多くある。こうして経験から判断すると、物とは一方から反対の他方に変化してくる、と言えるが、そう思うか。」弟子「疑いありません。」ソクラテス「生活にも反対の組がある。眠りと目覚めのように、生の反対は死である。その間に一方より他方への変化があるか。」弟子「あります。」ソクラテス「さて、今言った〔眠りと目覚め、生と死の〕二組の物事の進行を考える。先ず、眠りと目覚めについて考えよう。眠りが目覚めを生じ、目覚めが眠りを生じて、相互に生じ合う、これでよいか。」弟子「そうです。」ソクラテス「同じように、生と死は相互に生じ合う。生から生ずるのは死である。死から生ずるのは生であるとすれば、総ての生活は死から来た。これでよいか。」弟子「その通りです。」ソクラテス「では、死から生を生ずることは明らかになった。そうでないとしたら、自然に理法が無いことになる。」弟子「死がその反対の生を生ずるのは絶対の必然です。」ソクラテス「死の反対は、生活に戻ることである。それは死んだ者が生き返ることである。これまでの議論で、生は死より、死は生より来るということが確実となった。また幽冥界から帰り来ることも確実になった。もし、このように〔生と死の〕反対が相互に生ぜず、循環することなく、生は生のみで死が無く、一方より反対を生じて再びもとに帰ることが無いとしたら、総ての生物は何物をも生じなくなるだろう。もし、眠りがあって目覚めを生じなければ、生物は総て滅することになり、合あって離がなければ、一切は固まってしまうだろう。生者が死んで生き返ることがなければ、人が生ずるということも無くなってしまうだろう。」弟子達は皆、この説を納得した。