今日目が覚めた時に、右の腰と背中がぎゅ~っとヒキツレるのと同時に、外側に捻じれてしまっていた左の足が、足の付け根からぐわ~っと内側に向くのを感じた。
で、起きた後も昨日より少し左足が真っ直ぐに戻ってきている。
私の体のゆがみは酷かったので時間はかかるかもしれないけれど、こうやってAKA整体の治療や自力整体や、お風呂や睡眠の力を借りて、ちゃんと私の体は治ろうとしてくれているようだ。
自分の体を信じてあげよう。

体は色々痛むし足は引きずっているしで、思ったことの半分もできないで30日になった。
私、よくあんな大きなものを作ったり1人で動かしたりしていたなぁ。
今回の制作、全部「火事場の馬鹿力」だったんだ、と解った。
9月23日から2ヵ月ちょっとの、「火事」。

今日ようやく母屋の「大」ヌキの普通の「掃除」を終えて、叔母と神棚を飾り、お仏壇や竈や水の神様、に鏡餅をお供えし、なんとか「一夜飾り」を免れた。
裏の小さなお稲荷さんの祠には先人からの申し送り通り小さな鏡餅と油揚げを一枚。

昨日か今日の朝で終わっているはずだった仕事場の掃除は、夕方まで全く手が付けられなかった。
今の展示の設営の当日のまんま。
そんなに散らかってはいないけれど、最後の悪あがきに作りかけた作品が床の真ん中に放置、全体に盛大に作品をグラインダーで削った粘土粉が仕事場中に厚く積もっていて、本当は本格的に煤払いから始めないといけない。
次の仕事は繊細で綺麗な磁器の仕事なので、部屋が汚いと作品に影響が出てしまう事がある。
それを考えるともう舐めるように綺麗にしたい。
だけど・そんな気力も体力も時間も、今日はない。

「できることをすればいい」。
神様は、私が具合悪くなってまで綺麗にした部屋と鏡餅なんか、お望みでない。
今年はとても自然に、そう思える。
目についたところから始めて、良いと思ったところでやめれば、それでいい。
「しなければ」は、卒業していい分野では卒業してしまおう。
どうせ制作自体は年明けじゃないと始められない。
鏡餅を飾る気分になる程度に何かすればいい。

結局鏡餅は窯の上にお供えし、作業場内はあるべきものをあるべきところに納めて、放っておきたいものは放っておいて、床を掃いて終了。

仕事場に置いてあったバケツの水も釉薬も上から下までガリガリに凍っていて、それを見ていたら今冬の作業は母屋の一室でした方がいいような気がしてきた。
母屋の縁側ででも作ろうか、明るいし暖かいし。

自分の体はいつもより上手く動かないけれど、心は随分軽やかなフットワークになっているのを感じる。
今年もまた、良い師走です。