で、2013年のまとめのまとめだ。

自分がすっごいバカなこと、それでもそんなバカな自分って可愛いんだな、と神様目線でとらえられて自分に対する愛情が深まったということも大きいんですが・(以下参照)

馬鹿にされてなかった。

一番大きな気付きは「起きていることはいつも最善」、これです。

詳細はお叱りのコメントももらっちゃったりしたけど、以下の記事です。

起きていることはいつも最善。

どんなに「最悪!」と思うような現実を生きていても実はそれでも私のサポーター軍団が総力を挙げて大難を小難にしてくれているに違いないんだよ。
今、ひどいことになっちゃった、って思っていても実はそれはすべて未来に思い出して笑うための布石なんだよ。
いつもいつもいつも、こんなにも愛されていたなんて。(T_T)

ってことが、特に今回の2013年9月末からの制作の中で腹の底から解ったわけです。

そしてこの大きな気付きが「聖者」と言われる人の主催する明想の会やディクシャでじゃなくて、
今までリアルに生きてきた陶芸家としての自分を極限まで試されるような状況の中で、次から次に出てくるアクシデントを悪戦苦闘しながら徹底的に現世的に醒めた自我を駆使しながら乗り越えていきながら、
何の秘跡でも奇蹟でもなく当たり前に世の中に起こっていることの背後に気が遠くなるほどの奇蹟と恩寵の積み重ねがあるということに、私は気付かされたですよ。

朝4時半に起きて明想して走って写経している時でなくて、土にまみれて失敗して怒ったり焦ったり半泣きで他人を頼ったり、ドキドキしながら軽自動車で山梨と滋賀を往復する中で、私はそういう気付きをもらったのです。

人によるんだと思うけど、私に解ったのは、私にとっての答えのすべては制作の中にある、ということでした。

だから私はもう何も迷わず、ただ作ればいい。
生きていくことの不安も迷いも手応えも全部、答は陶芸をすることの中から導かれる。
私にとっての真実も未来も救いも、そこからこそ導き出され、そこにあるのは幸も不幸もなく成功も失敗もなく、「なんでもどうでもいい」、ただ進むだけの世界。

作ることの中に、ただ飛び込みます。
後はなんでもどうでもいいし、どうとでもなるんです。
時々まだ揺れることもあるかもしれないので、ここは敢えて断言しちゃったりしておきます。

2013年、なかなか重要な年でした。