土曜日の陶芸教室。
ずっとお世話してくださった職員のTさんがシフトを変えて、土曜日は新しい職員さんが担当されるという。

なんでも元美術教師で元副校長だとか。
(うちの陶芸教室は公営で運営に関わる財団の職員さんは大体みんな元校長とか元教師、センセーの天下り先なのだ。)

言われた瞬間思いっきり口がこんなこと言っつまってた。

「えぇ~!
元美術教師とか、ちょっと心配っ!!
自分がセンセーだった思い出がいつまでも忘れられなくて、
こっちは全然頼んでないのにチョロチョロ出てきて聞きかじりのうろ覚えを「指導」しちゃったりするタイプだったら嫌だなあ!!」

本音炸裂。(笑)

これ、他の曜日で実際に来ているアルバイト職員がそうなのよ。
こういう人がいるとかなり迷惑なんだ、色々。

言っつまった後であちゃ~!と思ったが、(その迷惑な人は実はTさんの身内で縁故採用だから)
もう口から出ちゃったからな。
本当にそう思ってるから仕方無いや。

でも、成長したなあ・と思った。
私はそういう心の反射神経、鈍かったもん。

昔、っていってもほんの3.4年前まで、私はあるシチュエーションで心に起こるモヤっとしたりゲロっとしたりする心の動きが「怒り」であるとさえ気がつかなかったり、「怒り」と知ってもどう扱っていいかもわからず混乱したり意味なく罪悪感に苦しめられて正しく受け止めることも表現することもできなかったのだから。

誤解ないように書くけれど、そういう私がいつもニコニコした天使みたいだったわけではもちろんない。
険悪なしかめっ面で固まっていたり曖昧で情けない笑い顔を作っていたりして、傍目には「怒っている」のは明白だった模様。
しかし自分には「怒っている」自覚がないから「何怒ってんだ?」と指摘されたりすると更に言いがかりをつけられた、と思ったりしていた。

溜めないで、すぐに言えた方がいい。
怒っているなら、怒っていると。
嫌だと思ったら、嫌だと。
迷惑なら、迷惑だと。

溜めたら心の中で腐ってこちらの身体をどうにかしてしまう。
さらに、いつまでも嫌な思い出になり、ふと道を歩いていて思い出して怒りが意味なく再燃したりして馬鹿馬鹿しい。
しかも、こっちが怒っている事を相手は気がつきもしない事も多いから言わない限りずっと嫌な体験が増える。
挙げ句、溜めに溜めた発酵した怒りを些細な事でキレてぶちまけたりする。

周りも自分も良いことゼロ。

昨日会っていた人とも話していたんだけど、小学校や中学校で「教育」されてきた事って本当に嘘ばっかりだよね。





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