この年の7月。


集中豪雨が拓海のいる町を襲った。


拓海たちは前の日の夜から警戒にあたっていた。


拓海の仕事は、川沿いに建っている浸水しそうな住民に避難を呼びかけること。


どの地区が一番最初に浸水するか拓海たちはよく分かっていた。


そこに出向き、その家の人に避難を呼びかける。


もう川の水はそこまで来ており、今にも越水してきそうだった。


もちろん、そこに住んでいる住民もそのことはよく知っていた。


今までどんなに雨が降っても道路までしか浸水せず、家までは浸からなかったことも。


結局、その夜のうちに雨は小降りになり、その日は川が氾濫することはなかった。





翌日は土曜日で仕事が休みだったが、雨は朝から降っていた。


それほど激しい雨ではなかったので、いつものように布団の中でまどろむ拓海。


不意に拓海の携帯電話が鳴った。


職場からの電話だった。


大雨による浸水の恐れがあるため、緊急招集だった。


すぐに防災服に着替えて家を飛び出す拓海。


職場に向かう途中の橋から川を見ると、荒れ狂ったかのように流れる濁流だった。


もう少しで溢れる。


拓海は直感的にそう思った。


雨はあまり降っていない。


しかし、この川の上流では豪雨と呼ぶにふさわしい雨が降っていた。





勤務に就くと、拓海は先輩と2人で浸水状況の見回りに出た。


昨晩行った危険箇所へ行くことにした。


途中、少しだけ回り道をして川の状況を確かめようと、川沿いに車を走らせる。


だが少し行ったところで、すでに水が道路まで溢れていた。


道路が寸断されたため、引き返す拓海。


拓海が今通ってきたところも、もうすでに浸水していた。


取り残された拓海たち。


すでに川の一部となり、道路が見えなくなった部分を急いで走り去った。


なんとかそこを通り抜け、目的地に着いた拓海。


昨日避難勧告をした家は、屋根の頂上しか見えておらず完全に水没。


すでに住民は避難したあとだった。





その後、町内各地で次々と浸水し始めた。


拓海は事務所に戻ることなく、浸水箇所の1つに行って交通整理を続けた。


一緒に見回りに出た先輩の家は、水に浸かった道路の先にある。


妻子が家にいる先輩は、携帯電話と財布を他の職員に預け、水の中に入っていった。


拓海が交通整理をした交差点はこの町では大きい交差点だったが、警察官は1人も見かけない。


その代わり、どうしてもその先に行きたいと言う運転手と浸水を信じない運転手と野次馬だけが溢れかえった。


そのうち、交差点内にも水が溢れ出し、そこに通じる道が全て水没した。


4方向を塞がれた拓海は、ふと自分の乗ってきた車のことを思い出した。


会社の軽自動車は、タイヤの部分まで水に浸かっていた。


エンジンをかけて、少し高いところまで車を避難させる。


途中の国道を横切るとき、車全体がフワッと浮いた。


車体の軽い軽自動車は、国道を流れる水の流れに持っていかれる。


それでもエンジンを吹かし、マフラーからの排気ガスとタイヤの回転力で、強引に国道だった川を渡りきった。





少し高台になっているところに車を止めた拓海は、川になった国道に行って交通整理を再開した。


その時にちょうど電話が鳴った。


優菜からだった。


この日は優菜が引っ越しをするということで、拓海もその手伝いをする予定だった。



優菜 「こっちはすごい雨だけど、そっちは大丈夫?」


拓海 「雨はあんまり降っていないんだけど、水没してます。」


優菜 「えっ?」


拓海 「いや、ちょっと今、交通整理してて。」



拓海の言っていることのほとんどを理解できない優菜。


言っている拓海も、何を言っていいか分からない状態だった。



拓海 「ちょっと午前中は来れないかも。 水が引いたら行くから。」


優菜 「うん、分かった。 すごい雨だから来ない方がいいかも。 お父さんや弟が来るから大丈夫。」


拓海 「ああ、ゴメン。 また後で電話するね。」



優菜は拓海の置かれている状況をほとんど理解できないまま電話を切った。


優菜は夕方のテレビでその状況を知ることになる。





川の水はどんどん増水して高い方に上がってくる。


迫ってくる水を背に、拓海は移動しながら交通整理を続けていた。


拓海が別の大きな交差点に差しかかる頃、やっと警察が動き出した。


近くの橋が濁流で崩壊する危険があるため、通行止めにするためだった。


交差点に数名の警察官と警察車両が陣取り、橋を封鎖した。


水没した道路はどうしても車が通れないため封鎖する必要がないのだろうか。


それでも交通整理をして、運転手に迂回路を教える必要があった。


地理に詳しくなければ、低い方に行ったり袋小路に閉じこめられる恐れもある。


実際、拓海は2度も水に退路を断たれた。


拓海たちは何時間も前から交通整理をしている。


しかし、本来は警察官の仕事のはずだった。


まだ通れるが、崩壊する恐れのある橋だけを封鎖した警察官が腹立たしく思った。


今では我が物顔で交差点を仕切っている警察に一瞥して、拓海はその場を後にした。。。