ありがとう | 闘う嫁~悪性リンパ腫の夫、寛解。目指せ5年生!~

闘う嫁~悪性リンパ腫の夫、寛解。目指せ5年生!~

大切な伴侶が悪性リンパ腫にかかってしまいました。
告知以前、告知後、そしてそれからの私たちの歩み、日々感じること、日常の出来事を記してあります。

24年前の今日、大切な大切な宝物を授かりました。
産婦人科医も初めて見たという程の難産の末に生まれてきてくれたのは、雪のように色が白く、髪の毛も黒々としたかわいいお猿さんのような女の子。
つい何分か前までの地獄のような痛みは、まだ羊水で濡れていた我が子を抱いた瞬間に忘れてしまいました。

それから15年ほどで手放すことになってしまいましたが、そんな不運を乗り越え、私の想像を越えるほど
人の痛みを分かる子に育ってくれました。

娘を置いて実家で治療に専念してした時間を差し引けば、たった12年しか一緒にいられなかった私たち。
娘と離れた私は初めて寝返りをうった時のこと、初めてハイハイした時のこと、初めて言葉を発した時のこと、初めてあんよした時のこと、全ての「初めて」を思い出し、それを心の支えにして自らの回復に努め、娘の幸せだけを祈って生きていました。

父親の元に残ることを選択したのは娘。
それでも自分を置いていってしまったことを辛く思ってはいないかと思わない日はなかったけれど
「私はお母さんがいない子だと思ったことはない」その言葉は私を救ってくれました。
私の気持ちを、後悔を、娘なりに感じていたのだと思います。

朝一番におめでとうメールを送りました。
「お誕生日おめでとう。Aさんと仲良くね」
Aさんは今、娘を大切に包み込んでくれている人です。
会ったことはありませんが、娘から聞く話ではとても思いやりがあり、優しく、包容力のある青年でした。
娘の身の上、職場で疲弊し、心を病んでいることも全て受け入れ、見守ってくれているようで出来損ないの母は安心しています。


あのお猿さんがもうそんな年になったのかと、とても感慨深く感じています。
両親が揃っていることが幸せだとは限りません。
でも多感な時期に傍にいられなかったことは私の最大の後悔。
けれど、母がいないことを卑屈に思うことなく、真っ直ぐに素直に育ってくれたことには感謝の思いしかありません。

毎年この日に書く記事の終わりの言葉は生まれてきてくれてありがとう。
その思いは変わらないので今年もその言葉をあなたに贈ります。
母はどこにいても何をしていてもあなたの幸せをいつも祈っています。

さて……前回の記事ではご心配をいただきましてありがとうございました。
スタッフ不足で休めず、なかなか病院に行けずにいましたが、今日ようやく仕事帰りに受診してきました。
結果は偽陽性でした。
少しの発熱、悪寒、頭痛は続いていますが、働けないほどではないのでまた明日からもがんばります。
コメントをいただいた一部の方にまだお返事ができていませんが、回復したらお返事をしたいと思っています。
ご心配くださった方々、本当にありがとうございました。