QUEENがまた注目を浴びるようになっています。
私は彼らのデビューより少し遅れてそういったものに興味を持つ年頃を迎える年齢だったので、初期の頃からの方々よりは何年か遅れで聴き初め、心の変化の折々で聴く感じで今に至っています。
古参のファンの中には、映画を観て新たにファンになった方々を、やれ「にわか」だの、やれ「いま今、映画を観ただけでQUEENの何がわかるんだよ」とお怒りの方も多いようですが、私は別に構わないのではないか?と思います。
ボヘミアン・ラプソディはもちろん観ましたが、「起きたこと」が時系列でなかったり、事実とは異なる点が多いことはすぐに分かりましたが、この映画はドキュメンタリーではありません。
多少の演出があっても仕方がないと思います。
この映画の見どころは主人公であるフレディの「孤独」だったように私は思いました。
映画を観て「あの歌詞の言葉の本当の意味がわかった!」「そんな心理状態だったからあのような曲になったんだ!」と気付くことがたくさんありました。
おそらくは、古参ファンも同じように感じ、それ故に映画=フレディ・マーキュリーの真実。と思われるのが腑に落ちないというか、納得できないのかも知れませんし、ずっとずっと大切にしてきた世界を新参者が訳知り顔で思う感覚に嫌悪感を感じるのかも知れません。
でも私は、音楽の楽しみ方はそれぞれ。映画から入ろうが、曲から入ろうが問題とすることではないように思います。
フレディ亡き後、アダム・ランバートを迎えたものの、それまでのように表舞台にはあまり登場していなかったQUEENが映画が起爆剤となって再び注目を浴び、若いファンも増えたことは、仲間が増えた(*^^)vとしか思わないのは私が単純だからでしょうか?
確かに映画の中で起きた出来事を真実だと信じ、それを観たことで音楽雑誌や、それに関した本を読み漁り、さも以前から好きだったように知った顔で知識をひけらかすのは「う~む」と思うところではあります。
音楽の楽しみ方はそれぞれと言ったように、メンバーの誰を好きなのかもまた同じです。
フレディの魂の叫びのような、絞り出すような、そんな歌唱力を高く評価する人もいれば、
ロジャーのドラムテクを愛してやまない人もいる。
ブライアンの泣きのギターを崇拝する人もいれば、ジョンの「地獄へ道連れ」のような、耳に残るリフを世界一だと思う人もいます。
なんだか意味不明の文章になってしまいましたが、古参の方も新顔さんもQUEENを愛しているのだから、昔からのファンの方々も懐を開いてご新規さんを向かい入れられたら輪が広がる。そしてその中でQUEEN愛を分かち合う。それが同じもの、同じことを愛するものとしてのあり方のひとつではないか?思っただけなのでした。
素晴らしいものは時を経てもその輝きを失わず、今回のように機会を得て、さらにそれを増幅させる。
音楽にしろ、絵画にしろ、書にしろ
芸術とはそのようなものだと思います。
だから、新顔のくせに。とかQUEENの何がわかる?というのはやめにしませんか?同じもの愛する「同志」ですもの。
でも……ボラプとかボヘラプとか略すのはいただけませんな