平成24年1月27日 午後2時32分
父が永眠いたしました。
実は、前記事を書いている最中に病院から連絡があり・・・
その時は、駆けつける様な状態じゃないって事だったんだけど。
その後も何度か電話があって・・・
「ベッドから起きあがろうとして、キョロキョロしてます。多分、娘さんの姿を探していると思います」
との看護婦さんの電話で、会社を休むことを決心し、叔母と叔父に連絡。
でも、まだ私的には、
多少具合が悪いだけで、また復活するだろう。と考えてました。
午前8時30分。
病室に入って行くと、前日とは別人の様に険しい表情で空を見つめる父の姿が・・・
私が傍によると、目からボロボロと涙を流す父。
多分、自分でも分かっていたんだろうなぁ~
その後、叔母と叔父が到着して、3人で顔を覗きこむと、何やら口をもごもご・・・
「ありがとう」
だったのかな・・・・・・・・・・?
「苦しいよ」
だったのかな・・・・・・・・・・?
それから強い薬を点滴して、少し持ち直した。
主治医の先生が来て
「今日の夕方から夜に掛けてだと思います」
その言葉を聞いて、叔父が仕事へ。
脈は安定しているものの、酸素量と血圧が上がったり下がったり・・・・・
やがて昼になり、叔母と交代で昼食を取る事に。
叔母が先に近くの喫茶店へ食事へ。
私は父の手を握り、
「また、元気になってご飯を完食しようよ」なんてたわいもない話をすると、少し微笑んだりしていたのに。
午後1時頃になると急激に酸素量が低下。
やっと、叔母が病室へ戻る。
それから、あっという間に脈も弱くなって、アラームが止まらなくなって。
だんだん呼吸の感覚も開きだし
「お父さん、ほら息して!」と言うと、やっと呼吸する感じが続き。
何度も白眼をむきながらも、呼びかけると必死に呼吸をする。
やがて、ずっと私の手を握りしめていた手の力が弱くなって・・・
栄養剤の点滴が口から溢れて来る・・・
「お父さん、嫌だよ・・・」
叔母が急いで叔父に電話を掛けに行っている間に、父が呼吸をやめました。
私の目の前で、力尽きてしまいました。
私は、しばらく
「ほら、寝たふりしないで!!」←父は寝た振りが得意だったから。
「目、開けないと、お姉ちゃん帰るよ!!」←いつもこう言うと目を開けてくれてたから。
と意味不明な事を言っていたそうです。
主治医がやって来て、死亡宣告。
立っていられませんでした。
自分でも驚く位に声をあげて泣きました。
母と親友に電話。
親友は一緒に号泣してくれました。
それから病室の荷物整理やら、葬儀の手配やらがバタバタと始まり、泣いてる場合じゃなくなって。
いよいよ、病院から運び出す事になり、看護婦さんへ挨拶しに行くと、何人もの看護婦さんが泣いてくれました。
最後の病院に入院してから、ちょうど1年。
父は喋れないのに何故か人気者だったな~。
お通夜、告別式が終わり、火葬場へ。
何よりこの時が1番辛かったです。
本当は死んでいないんじゃないか?
もし生きてるんなら、早く起きないと焼かれちゃうよ・・・って。
何回も父の身体をゆすって起こそうとしました・・・・・・・無駄なのに・・・・・・・
金曜日に初七日を迎え、少しだけ実感して来ています。
父の死を。
でも、まだ仕事の帰りに自宅じゃなく病院へ向かっちゃったり。
ドラックストアへ行くと自然にオムツ売り場へ行っちゃったり。
夕方6時になると、ご飯の時間だな~って思っちゃったりしちゃってます。
いずれ、こう言うのも無くなるのかな?
父はどう思ってたんだろうなぁ。
なんか、もっとしてあげられた事が沢山ある気がする。
まだまだ、涙は枯れません。
でもね、前向いて生きて行くからね・・・
見守っててね、お父さん。