本日 観桜会の内容 | てじからおのブログ

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岐阜県各務原市那加に鎮座する手力雄神社のブログです。
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禰宜の日記・備忘録化してます。

気ままに書いてますので不定期・時差あり。

朝から鶯が鳴き始めました。


今日はようこそご参拝くださいました。



毎年当日の内容を伝えるパンフレット等準備していない代わりに観桜会の内容を記しております。



また本年は本殿再建より350年の節目の年にあたります。

お時間ありましたらぜひ本殿、龍をご覧ください。

350年、辰年、にかけて龍に関わる演目を演奏いたします。


本日は桜とともにどうぞごゆっくりご覧ください。







13:00

書道パフォーマンス


演者 田中美琉(たなかみる)

現在高校生への指導等、活躍の場を広げています。



雅楽奉納


13:10頃予定

浦安の舞(うらやすのまい)


浦安の舞は、1940年(昭和15年)11月10日に開かれた「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、立案されたものです。

1940年は、初めての天皇である神武天皇から数える「皇紀」において、2,600年というおめでたい年でした。

当時の宮内省楽部の楽長が全国の神社に伝わる神楽舞を基に作曲作舞した神楽舞です。

神楽の歌詞は1933年(昭和8年)の昭和天皇御製


天地(あめつち)の 

神にぞ祈る朝なぎの 

海のごとくに 波たたぬ世を


が歌詞になっています。

神楽舞は神さまへのお供えとして作られた舞であり神社では奉納される機会が多い舞です。

特に稚児が舞うことが多いため地域でも伝統的に毎年伝えられているところがあります。

4人舞で扇舞と鈴舞に分かれます。


今年は地元の中学生に加えて新たに加わった4年生の子供たちが舞います。





13:30頃予定

◆舞楽 承和楽

(しょうわらく)
壱越調に属する中曲です。


承和楽 (しょうわらく)とは壱越調・唐楽の楽曲ですが、外国より伝えられた楽曲ではなく、平安期の日本で創られた楽曲と言われます。『教訓抄』によるとこの楽曲は仁明天皇即の作、または承和年間に黄菊の宴にて演奏させるために、天皇の勅により大戸清上(おおとのきよがみ)に曲を、三島武蔵が舞を作ったと伝えられています。楽曲の名は年号をとって「承和楽」とされました。また『楽家録』では承和元年(834)に、楽所預従五位上大中臣成文が作ったと記されています。

と言うように諸説あるようです。


平舞と呼ばれる4人でゆったり舞う姿はとても雅です。





14:00頃予定

◆管弦 調

ひょうぢょう
雅楽の中で管弦は、6種類の調子に分けられ楽器のみで奏されます。
「りくちょうし」と呼ばれ各調子は音階の種類や主要音の音高によって、壱越調(いちこつちょう)、平調(ひょうぢょう)、太食調(たいしきちょう)、双調(そうぢょう)、黄鐘調(おうしきちょう)、盤渉調(ばんしきちょう)という名称がつけられており、このうち壱越調、双調、太食調の3調子は呂旋(りょせん)、また平調、黄鐘調、盤渉調の3調子は律旋(りっせん)に属します。

雅楽を初めて習う時に練習する曲は、平調が多いのでは無いでしょうか。


◆平調『音取

ひょうじょう ねとり
短い音色を合わせて奏され、これから演奏する曲の調子を知らせます。
各楽器の主奏者によって奏され、楽器の音合わせの役割も兼ねています。
新しい調子を奏する際は必ず音取を奏します。

「打ち合わせ」など雅楽の言葉が日常において結構使われています。


◆『越殿楽

えてんらく
舞は伴わず,管弦の形でのみ演奏され雅楽の中で最も演奏される機会の多い曲です。
平調 (ひょうぢょう) のものと,黄鐘 (おうしき) 調のものと,盤渉 (ばんしき) 調のものの3種があります。3種の越天楽のうち、盤渉調のものが原曲で、他の2曲はそれを移調したものであるが、平調が原曲という説もあります。
3行目(曲で言うと半分ほどの辺り)は、調子が違う黄鐘調が基調となっており趣きのある曲です。


◆『陪臚

ばいろ
雅楽の唐楽の曲名の一つで、林邑楽(林邑八楽)の一つ。
平調で、曲名は古代インドの神話で仏教に帰依し善政をしいたバイロチカーナ王の物語に由来するという。
管絃と舞楽がある。
舞楽の場合、舞人4人により舞われる。
唐楽の場合は舞は左方を原則とするところながら、この楽は唐楽だが舞楽として奏するときの舞は右方である。
番舞としては太平楽とセットで用いられる。
管弦では、2拍子と4拍子を交互に繰返す早只拍子というリズムで奏する。

同じ平調越殿楽と比べて、軽快なリズムで奏されます。




15:00頃予定

管弦演奏 壱越調(いちこつちょう)


音取


(ねとり)

雅楽の6つある調子のひとつ。壱越調(いちこつちょう)(レの音)の音を主音とする旋法。

律呂(りつりょ)で分けられると呂旋。ちなみに平調は律旋です。


音取(ねとり)は、6調子の曲が吹かれる最初に奏します。

雅楽は演奏前に調律など行わないため、この曲をそうすることで音合わせをする意味があると言われます。




北庭楽


(ほくていらく)

北庭楽(ほくていらく)は、壱越調に属する中曲です。

北亭楽、あるいは北亭子ともあります。

中国の楽曲で最後に子が付く曲は多く、北の亭子ではなく、北亭の楽という意味

また、『体源抄』には、「大曲の法に、初めて夫婦になった日に家の北面でこの曲を奏する。必ず人妻は北面に居る。」ともあります。

『教坊記』に北庭子が見えますので、中国から伝えられた曲と言われます。


龍笛は細かい旋律を奏で、篳篥と切りどころが違い音が追いかけるように重なり合っていく美しい旋律を持つ曲です。





◆朗詠 暁陵王


(ろうえい あかつきりょうおう)

朗詠(ろうえい)とは、和漢の名句に曲をつけて吟詠されるものです。

簡単に言うと「うた」です。


暁梁王(あかつきりょうおう)は、明治撰定譜にも採用された朗詠の一首です。句の最初4文字を取って、暁入梁王ともいわれます。

『朗詠九十首抄』では、冬部に分類され、詩は次のとおり。



暁梁王ノ苑ニ入バ 

雪群山ニ満リ 

夜庾公カ楼ニノボレバ 

月千里ニアキラカナリ


あかつきりやうわうのそのにいれば 

ゆきぐんざんにみてり 

よるゆうこうがろうにのぼれば 

つきせんりにあきらかなり


明け方に梁王の作った庭に入れば雪で覆われた山々が見渡せる

夜に庾公の楼に登れば千里に続く広大な土地と月を見ることができる。


陽明文庫蔵『朗詠譜』にもあり、冬部に分類されています。『朗詠要集』にも見え、冬部に分類されています:

『和漢朗詠集』にあり、そこでは冬部の雪に分類されています。




新羅陵王急


(しんらりょうおうきゅう)


新羅陵王(しんらりょうおう)は、壱越調に属する小曲です。ただし、本来は壱越調の枝調子である沙陀調の曲と言われます。

『楽家録』の読みは、「しむられうわう」。

由来は不詳です。

蘭陵王を古くは羅陵王としており、その新曲ということなのでしょうか。どちらも沙陀調の曲です。

現在は急の楽曲のみ伝えられています。早四拍子、拍子16。末4拍子を加拍子とします。

新羅陵王としての舞は絶えたので、管絃として演奏されます。双調に渡物があります。また、陪臚の破として用いられます。

舞楽陪臚については、令和3年11月に特別奉納演奏にて舞われました。


軽快な旋律を奏でる曲でまた違った雰囲気を持つ曲です。





15:45頃予定

陵王(りょうおう)


左方で、勇壮な面をつけて舞台上を活発に動きまわる走舞(はしりまい)です。

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中国・北斉(ほくせい:550~577年)の蘭陵王長恭(らんりょうおうちょうきょう)は、優れた武才とともに大変な美男子として知られ、部下がみとれるほどの容姿だったため、味方の兵士たちの士気を高めるよう、獰猛(どうもう)な仮面をつけて指揮をとったところ、兵士たちは鼓舞され次々と勝利をものにしていったと伝えられています。『陵王』は、それを祝して作られた曲だといわれています。

走舞(はしりまい)の代表的な演目で、右手に桴、左手に剣印(けんいん)という形で舞うこの舞は、武将が馬上で指揮をとるさまを表しているものだといわれています。


本日はなんと「一具(いちぐ)」と呼ばれるフルバージョンで舞います。

なかなか観ることができない、演じる側も観る側も体力が必要な演目です。




16:30予定
◆舞楽『納曽利 

(なそり)
納曽利(なそり)、双龍舞とも呼ばれる。納蘇利と表記の場合もあるとのこと。
新楽、小曲。構成は、破および急の2部から成る。
左方陵王の番舞(つがいまい)。
右方(高麗楽)に属する高麗壱越調 (こまいちこつちょう)の二人舞ですが、一人舞の場合は曲名を「落蹲」(らくそん)と呼ばれます。
これは一人舞の場合、舞人が舞台中央で蹲(うずくま)る舞容があるためとのこと。
ただし、南都楽所では一般とは逆に一人舞の場合は曲名を「納曽利」、二人舞の場合は「落蹲」と呼ぶそうです。

当社の本殿には2体の龍がおり伝説が残されています。
今年で再建されてより350年目を迎えます。
2年前の演目では「落蹲」を演じました。
2体の龍が舞う様ですが、今回は2人で舞うため「納曽利」でご案内しております。



最後まで長文ご覧いただきありがとうございます。