古都の寺院の隠された真実を求めて-201209092100000.jpg
中表紙

 小林剛氏の著書「日本彫刻史」の中の興福寺の十大弟子と八部衆像が光明皇后により建立された西金堂の当初のものではなく、治承四年の平家の焼き討ちで当初の像が焼失した後、額安寺から移入されたものだと主張する論説は、図書情報館で、この本を閲覧した時にコピーを取り、その要旨を紹介させてもらいましたが、先日、この本を奈良の古書店で見つけ、本の状態が良かったので思い切って購入しました。

 図書情報館で閲覧した本には昭和22年12月25日に発行されたという奥付がありましたが、私が購入した本には奥付がありませんでした。 

 最初に昭和21年11月10日の日付で小林氏による自序が載せられていますが、そこには、「この出版に関しては薬師寺の高田好胤師や養徳社の上村六郎先生、庄野誠一氏などの並々ならぬ御厚意を賜った。併せて茲に感謝の意を表して置きたい」と書かれています。

 文面から後のお二人は養徳社という出版社の方と思われ、その上に名前が一人だけ載せられている高田好胤氏の尽力が大きかった事は間違いないように思われます。 

 この当時、高田好胤氏は、まだ副住職にもなっておられませんが、戦後まもない、この時期に、小林氏が戦前に発表された論文の集大成とでもいうべき大著の発行に尽力され実現させたという事に、この方の凄さを改めて感じました。