未来の次元に存在する私との対話を進めるとき



当たり前に『過去の次元に存在する私』にも思いを馳せる。

 

 



 

 

1分前の私はいなくなった訳じゃない

この世に生を受けた瞬間の私もいなくなった訳じゃない


 

同時に”今”違う次元に確かに存在してる

 

 




 

体験してるフィルムを移動しているだけで

 

地球には『時間』という概念があるが故に

”そこ”を自分が認識できなくなっただけだ

 

 

 

 

 

未来の私にアクセスし

”エール”をよく貰うことがあるが


 

過去の私が現在の私に”エール”を求めているとしたら?

 




自分はなんて声をかけるだろうか?

 

 





 

特に2016年から2017年にかけて

個人的にとても大きな痛みを感じた時期だった。

そう、すごく大変なことが起きたのだ。

 



 

それはある人との関わりの中で起きたこと

ショックで悲しくて痛かった。

 

 

でもその出会いは人生を一変させたと言っても過言じゃない。

 



長らく自分の奥底で多分人生で一番私が恐れを抱いていた『神』

という存在に対する怖れを手放すきっかけを作ってくれた



 

 

その後私は本当にパワフルになった。

自分の真ん中に大きな柱を感じれるようになった

 



 

全部全部、その人のおかげ。

 

 



 

 

でもさ、その問題の渦中にいるとき

苦しくて苦しくてなんでこんなことが!と叫びたくなるもんだよね

出会わなきゃよかった!なんてことまで思ってしまう

 

 



 

さぁ、じゃぁ..




2019年現在の私は

苦しみの渦中にいる2016年のあの時の私になんて声をかけるだろうか?

 

 

 

 

 

『あんた、この後めーーっちゃよくなるで!』

『むしろその人に感謝した方がいいわ』

『おっきな転換やで、ちなみに2019年の私はその体験をしてくれてる2016年のあなたに死ぬほど感謝してる』

 

 

 

”出会わなきゃよかった”

 

 

 

何を寝ぼけたことを。

 

 

未来の私は絶対に絶対にその人に出会うように仕向けるね。

その人がいなきゃ物語が展開しなかったんだもの

 

 

 

 

 

全てがみえる見晴らしの良い場所に立つ現在の私は

過去の私にこんな風にエールを送るだろう

 

 

 

 

あ、未来に何が起きるかなんて細かくは絶対に言わないね。

それを伝えてしまったら面白くないし

本人の”気づき”を奪うことになる

 



 

しかもそんな思いするなら...って

その視野の狭さだときっと全部を話したらその体験からきっと予め逃げ出すだろう

 

 



 

”可愛い子には旅させろ”

 

 

でしょ?

 

 

 

 

だから、2016年の過去の自分に話しかけるなら

シンプルにこれだけかな

 

 

 

『絶対に大丈夫、いいようににしかならない。信じて。そして全てがいつか感謝に変わるから』

 

 

 

 

 

面白いね。

 



 

その立場になってみたらよく分かる。


 

直感を信じるのが怖くて

大丈夫だという証拠が欲しくて

未来がどうなるのか知りたくて


 

未来の私に対してもっと具体的に色々教えてよ!と

よく思うんだけど

 

 

 

自分がその立場に立ってみたら

”全てを言わない”ってことがわかる。

 

 

 

そして過去の私にエールを送ったこの言葉は

 

『絶対に大丈夫、いいようににしかならない。信じて。そして全てがいつか感謝に変わるから』

 


 

現在、未来の私から受け取ってる言葉と変わらない訳よ笑

 

 

 




 

 

結局そういうことなんだよ

 

 

 

 

 

だからどの地点にいようとも

内なる神の声はいつだってこれだけ。

 

 


 

『絶対に大丈夫』




っていう存在と物語への信頼なんだよね