「わたしたちは望むことを忘れてしまい、望み方がわからなくなっていた。」






ハッピーちゃんとして
Amebaブロガー全盛期時代。
アクセス数とフォロワーさんが
右肩上がりに増えていった




嬉しかったし楽しかった。




でもその中でも
数字が減る、という時もあって
その時の嫌な気分の感覚が酷かった。




ここで多くの人は
望み方を間違える。



もっと人気になりたい、と。
イコールアクセス数がもっと増えて
読者さんも増える現実が欲しい!
みたいな。




私もそうだった。
でも、待てよって立ち止まったの。




私がほんとうに欲しがってるものはそれなんだろうか?




数字をみて一喜一憂。
それで自分の人気、
すなわち数字で自分が愛されてるかを測ってる
その自分の感覚が嫌なんだよね?




そう。
数字で縛られる
この心の不自由な感じが嫌だ!



私がほんとうに欲しいのは
数字や人気に左右されない
その自由な心の感覚だ!




"感じてるその感覚が嫌なのに
望むものは物質的なものを望む"



これじゃぁ辻褄が合わない。



数字で一喜一憂する。(感覚が嫌だ)
だからもっと人気になりたい。(現実変えたい)
このパターンで望んだ場合、どうなるか。



考えられるのは2つしかない。
人気になるために行動起こして実際に現実化できた。
でもその場所でも嫌な気分の感覚は変わってないから、もっともっと人気になる、現実を変えようと走り出すケース。



もうひとつは現実化しないパターン。現実がそのままだから嫌な気分の感覚のままのケース



ほら、現実化しようがしまいが
関係ない。
どちらも嫌な気分のままだ。




現実が変わろうと変わらまいと
感覚が変わってないのだから同じことの繰り返しなのだ。






誰かと比較して勝ちたいと望む。
勝つために必死に頑張ったとする。
そして実際にその人に勝った。


このケースの場合は
誰かに勝ったその場所で
また新たな勝ちたい人が出てくるよ。
.

.
いつまでそんなの続けるの?
それがほんとうに欲しいものなの?
.

.
嫌な気分になってるのはその比較の気持ちでしょう。
比べて自分は劣ってる。
その感覚が嫌なんだよ。




じゃぁ、それは誰かに勝つことで
手に入るものじゃないよね。




あなたがほんとうに欲しがってるものは
.
私は私でいいというその安堵の感覚。
他人を見て素敵だと思えるその素直な感覚。
.
こっちだよ。





環境によって自分の存在状態の幸せが左右されるような在り方でいてほしくない。




私たちはいつだって
心の自由や拡がり
安堵感、平和なその感覚を欲してる。
.
だからネガティブな感覚を怖がる必要なんてない。
その場所から、どんな感覚にハマりたいのか望めばいいだけなんだから。






#昨夜のHTLのコンサルが反響だったので文章でまとめてみました