先月は長女が12歳の誕生日を迎えて干支を一回りし、
今月はその彼女が中学校に入学して
母親の私にとっても大きな節目を感じる、
いつもとはちょっと違った感じの春を過ごしています。


中学に入学してしばらくは授業もなく、
オリエンテーションが続く毎日の中で
早く学校の一員として馴染むべく
校歌の練習が繰り返し行われているそうです。


各学年で校歌の伴奏を担当する生徒がいるらしく
新一年生にも早速、その伴奏者を決めるための
オーディションがあるとのことで、
小学校の卒業式で合唱の伴奏経験があった長女にも、
担任の先生からオーディションを受けてみたら?と声がかかりました。


やる気になった彼女は音楽の先生から楽譜をもらい、
これまでの彼女のピアノ人生6年間のどんな練習の時よりも必死で
学校から帰ってきたらすぐに、そして夜もいつもより遅くまで起きて
ものすごい集中力で練習をしていました。


なぜならそのオーディションが行われる日は
楽譜が手渡されてからわずか二日後だから・・・


数日前に初めて聞いた校歌のメロディ。
歌自体を覚えるのがやっとの中、練習時間が満足に取れない状態で
伴奏を弾かなくてはならないような事態。


こんなことはもちろん今まで経験のないことで、
それまでの小学生時代とは違う
一つステージが上がった場所ゆえの洗礼が早々に
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
なんて、親の私はどこかでそれを歓迎していました(笑)


そう、SOBを体験した者は
ぶち当たる壁や、逆境を
welcome♡
と、喜んでしまう習性に変わってしまうので(笑)


とかくSOBトレーナーとなった今、
それが自分事の時だけではなく
家族や他人の身に降りかかったことにでさえも
当事者の(((゜д゜;)))アワワ ぶりなんてお構いなしに
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!! センサーが反応してしまうという
困ったことになってしまっていることは
もうどうしようもない事実(笑)


いや、決して『人の不幸は蜜の味』なんてことを
言っているわけではないんです。


その逆境や壁を乗り越えた後には必ずその人にとっての
かけがえのない宝物が手に入るはずだと
経験を通してもう知ってしまっているので、
その先にある景色を想像して、ニヤニヤしてしまうのです(笑)





「練習しなさい!」
って他人から言われてやってるんじゃない、
自分が校歌の伴奏をやりたという衝動でピアノに向かい
渡されたばかりの綺麗な楽譜に目を奪われ、
鍵盤に指が勝手に触れてしまうくらいに
自分の想いと行動がぴったりと一点で重なっているという姿がそこにはあって、
親バカは百も承知だけれど
こんなふうに成長してくれたことに、感慨深さで胸がいっぱいになりました。




そして迎えたオーディション当日の朝。


「やっぱりオーディション受けるの辞める」


起き抜けのテンションの低さに深みを与えながら
長女はそうつぶやきました。



「どうして?あんなに頑張って練習してきたのに」


「・・・・・」


「ちゃんと弾けるようになるまで完成してないから?」


「うん・・・」


「完成してなくてもいいじゃん、ここまでやってきたことを精一杯やれば」


「でも恥ずかしいし、落ちるのやだもん」


「みんな同じ条件だよ?きっとみんなもまだ完成しいてないよ」


「そんなことないよ・・・」


「なんでそうだって言い切れる?みんなが完成しているの見たの?」


「そうじゃないけど、自分が一番ダメに決まってる」



「誰がそんなこと決めたの?
誰でもないよね? 自分で勝手に決めてるよね??」


「・・・・・」


「自分の本当の気持ちはどれなの?
伴奏やりたいの?それともやりたくないいの?」



「やりたいよ」


「伴奏やりたいってう気持ちが本当なのに、やらないんだ」


「完成してないからやりたくない」


「それはちょっと勘違いしてるよ。
やりたくないは本当の気持ちじゃなくて、
今一番強く感じているだけの不安な気持ち」



「・・・・・」


「本心では伴奏やりたいって思ってるのに、
落ちたら嫌だなっていう不安の気持ちが大きくなっているから
そっちが本当の気持ちみたいに感じてるかもしれないけど、でも違うよ。
不安にのみ込まれてるだけなんだよ。」



「・・・・・」


「昨日の夜遅くまであんなに頑張ってた自分のことが可哀想じゃない?」


「・・・・・」


「昨日の自分と今の自分、
 全部一つで繋がってて同じように思うかもしれないけど違うんだよ。」



「・・・・・」


「人の中にはいろんな自分がいてね、その時々で考えることも感じ方も違うよね?
昨日まで真剣に一生懸命に練習していた自分と今の自分は全然違うんだよ。
昨日まで一生懸命だった自分自身のことを今の自分が認めてあげずに、
『あなたそんなんじゃダメだし恥かくだけだから、オーディションなんて諦めなさい』
って言ってるのと同じなんだよ」



「・・・・・」


「昨日までの頑張りをこれっぽっちも認めてもらえずに、ダメ出しされてるの。
しかも誰よりも一番認めてほしい自分自身にね。
こんなに悲しいことってなくない?
ママは可哀想で可哀想で仕方がないよ・・・」




朝から熱く語りながら、憚りもせずに娘の前でボロボロ泣きながら話す私。
だって、本当に昨日まで一生懸命だった彼女が可哀想だと思ったから。


ぜんぜん完璧じゃなくたって、そのプロセスを誰も見てくれてなくたって、
今ある自分を真剣に精一杯表現すれば
必ずその思いは届くし、誰かの心に必ず何かが残るっていうことを
体験して、実感して、壁の向こうの宝物にしてほしかった。


そして、今語っていることは誰でもなく私自身にも投げかけている言葉だなって
心臓をギュウギュウわしづかみにされているような気持ちで話していました。


子は親の鏡・・・まさにっていう感じで。


子供に泣きながら自分の想いを話すことなんて今までなかったし、
まさかこんなことで、しかも朝っぱらからこんなふうになるなんて思いもしなくて、
ちょっと前の私なら、我ながら大袈裟だよね~なんて呆れていたかもしれない。


でも今回のことは娘を介してはいるけれど
私自身から出てる言葉や感情って
結局は自分自身に全部ヒットしているんだなって、
流れてくる涙を拭きながら実感することにもなりました。


私自身が私自身の事
いろんなところでどれだけダメ出ししてきたんだろう・・・
一番認めてほしい人に認めてもらえない辛さ、
やっと少し分かってもらえたのかなっていう
安堵の涙でもあったと思います。


娘の横に座って私が熱く語れば語るほど、
彼女の体は無意識のうちにだんだんと私の方に背を向けて、
そのうち顔が髪の毛に隠れて
私からは表情も見えないくらいになりました。


その姿は必死で私を拒絶してるし、
なにより私に見透かされてる自分の本心を
自分では見たくないっていう意思表示のように感じました。
これ以上、私の心のど真ん中に踏み込んでこないで!っていうように。


そんな重苦しい気配を漂わせている彼女から返ってくる返事は
大体想像はできたけれど、あえて訊いてみました。



「ママはいろんなこと言ったけど、これ全部ママの本当の気持ち。
 でも決めるのは自分自身だよ。自分で決めればいいこと」



「受けないよ」


「そう・・・」



そう決めたのなら、それでいいと思いました。
オーディションを受けてほしいと思うのはあくまで私の願望だし、
つまるところそれは私のエゴでしかないのも分かっているので。



受けないなら受けないなりに出てきた結果、現実の中で
この先彼女が何を乗り越えて感じていくのか、
それもすべて彼女に必要なことしかやってこないだろうということも
分かっているつもりでいました。


でも、自分の気持ちが届かなかった寂しさや悲しさも
やっぱりそこにはあって、
私自身の気持ちを受け止める私と、娘の気持ちを受け止める私
どっちの私も丸ごとどっぷり感じながら、娘の帰りを待ちました。


朝の気まずさを引きずりながら帰ってくるのかなと思っていたら、
いつも通りニコニコしながら帰ってきました。



私が口を開くより先に娘が
「オーディション、受けたよ!」
と言いました。


私はその一言だけでもう十分でした。


結果なんかどうでもよくて、
不安から逃げずにオーディションを受けてくれたことが
なによりも嬉しくて、頼もしく思えて
『あぁ、これでもう大丈夫』って何がかは分からないけど、
瞬間的にそんなふうに思いました。


朝、担任の先生にオーディション辞退の旨を報告すると、
私が言ったこととほとんど同じことを先生からも言われたそうです。


先生も同じこと言うし、それならやっぱり受けてみよう。
そう思って受けた結果は不合格だったそうです。



「合格した子はスラスラ弾けてたよ。
でもね、4人受けたんだけど私が2番目にうまく弾けてたと思う。
でね、音楽の先生にね、あなたの弾き方一番好きよって言われたの!」


嬉しそうに、充実しきった感じで私にそう話しました。



「ねぇ、やっぱりオーディション受けて良かったでしょ?」


「うん、良かった(≧▽≦) 」




今回は合格しなくてよかったなって思いました。
合格したらそれはそれで、今以上の達成感は味わえたかもしれない。
でも、不合格だったからこそ感じて見えてくる
自分の想いやそのプロセスの中で一生懸命だった姿を
もう一度振り返ってかみしめることができる。


そしてそのエネルギーは、ちゃんと相手に伝わるっていうことも
実感として手に入れることができた。


壁の向こうにある宝は、
決して合格という結果だけではないんだっていうことの事実。


私にはこっちの方が今の彼女にとって、
そしてその鏡を見せつけられている私にとっても何倍も価値があって、
今後の私たち親子それぞれの在り方も左右するくらい
大事なことだと思わずにはいられませんでした。