どうも、都筑です。
今回はつい今しがたmixi上にアップしました投稿をそっくりそのままコピペしておきます。
文責は私都筑にありますので、批判共感意見等は直接お願いします。
↓↓↓以下本文↓↓↓
- 「ソーシャル」って言葉の意味考えたことあるか?
- どうやってSNSが成立していったのか知ってるのか?
- ネットリテラシーって知ってるか?
- 「臭いものには目を背ける」「怪しいものには近づかない」とかいうが「臭いもの」とか「怪しいもの」ってどう判別するんだ?
以上はこのところの首記の件について都度都度思うことだ。
SNSというのは基本として「マスコミュニケーション」の逆だと俺は思っている。
だから、マスメディアにとってソーシャルコミュニケーションってのは敵みたいなもんだ。
ただ、そうも言ってられないからうまいこと共存していくように利用する方向に舵を切っているが、基本としてマスメディアはソーシャルコミュニケーションを否定しているように見える。
社会的なネットワークをオンラインで構築する・・・これは既存の住環境では構築できない関係を既存の住環境では会うことがない人たちと構築するために用意されているものであって、それ以外ではない。
だから、「出所不明の話」は「巷の世間話」よりも広範囲に及ぶし、そこの真偽を見極める目線というのは既存の生活環境で培われているものと何ら変わらない。いわゆるリアル社会でも経歴や名前を偽って付き合ってる人間関係はそこかしこにあるはずだが、オンラインではその敷居が低いと言うだけで、実際のところと何も変わらない。
なのに!
なのに、何故SNSばかりが攻撃対象になるのか。
SNSは匿名になりやすいと言うだけの話であってそれは名前を伏せてる近所のあんちゃん姉ちゃんが実数として観る機会が多いだけに過ぎない。
カメラを持って「写真撮らせてください」が「自撮りアップして」に
「どこ住んでんの?」と直接訊かれるのが「ドコスミ?」ってテキストで訊かれるだけ
全部、実際に起こることをオンライン上で再現しているだけにすぎない。
「親の目の届かないところで」にしたところで、それはオンラインだろうとオフラインだろうと無数に存在するケースの幾つかに過ぎなくて、とりわけSNSをターゲットにするほどのことでもない。
なのに、自称「社会学者」とかがメディアに出るとメディアの意向もあるんだろうが「SNSが必ず槍玉に挙げられる」。SNSを使って既存の生活では構築できない人間関係を構築して世界観を広げようとしている人たちの障害にしかならないことばかりを口にする。
問題にしなきゃいけないのはリテラシーであって見極める目であって、「十把一絡げ通り一遍に」否定することではないはずだ。
↑↑↑本文ココマデ↑↑↑
学校で教えなければいけないのも
オンラインに限定したことではなくて、もっと広範囲な、例えば著作発行物であったり、メディアが垂れ流す情報だったり、情操教育だったり、そういうのを見極める目というのがオンラインでも効果を発揮するということから教えるべきでしょ
とも思うわけです。