難病克服と心の自立 | 難病とは

難病とは

5年後に寝たきりになると宣告を受けた娘の難病が食事を変える事で治癒しました。
この経験を生かし、難病克服支援センターとして、難病を克服するサポートをしております。

難病克服支援センター
https://kokufuku.jp/

家族の誰かが難病になると
 
私は難病の子を持つ父親として
 
嫁は難病の子を持つ母親として
 
長女は難病の妹を持つ姉として
 
次女は難病になった本人として
 
それぞれ、立場が違えば苦しさや思いも違ってきます。
 
私は「治してあげたい、どんなことをしてでも必ず治してみせる、、治せるかな。。。寝たきりは見たくない」
 
嫁は「守ってあげたい、長生きして私が世話をし続ける、出来ないことは私が全てカバーしてみせる」
 
長女は「なんか妹が変だ。。。大丈夫なのかな。。。可哀そうだよ。。。何もしてあげられない。。。どう接してあげたらいいの??」
 
次女は「体がうまく動かない。。。怖いよ。。。治るのかな。。。なぜ病気になったの?治してくれるのかな。。。何も出来なくなっていくよ。。。怖いよ。。。治りたいよ。。。」
 
一つの出来事や事実に対して、立場が違えば、思いや想い、辛さの種類が変わってきます。
 
そして、みんなそれぞれが現実に対して戦っているのです。
 
それぞれに与えられた苦難に対して、必死でもがきながら戦っているのです。
 
私には嫁の辛さや長女の辛さ、次女の本当の辛さは分からなかったと思います。
 
分かろうとする余裕もありませんでした。
 
私の辛さは、嫁や長女、次女には分からなかったと思います。
 
分かって欲しいと思ったことは何度かありましたが、それは出来ないことなのです。
 
人は苦しい時ほど、自分の気持ちが優先されてしまいます。
 
そして、身近な人に自分の気持ちを分かって欲しいと感情的になってしまいがちです。
 
それを求めると、相手も同じものを求めたくなるのです。
 
それでは、感情がぶつかり合ってしまい、頑張るエネルギーを奪い合ってしまうのです。
 
みんなギリギリで頑張っているのですからね。
 
みんなが必死で現実と向き合い、それを乗り越えようとしているのですから
 
そんな姿を励みに、自分は自分で頑張ることが、希望する未来へと繋がるんだと思います。
 
本人の本当の辛さは本人しか分からないのです。
 
それぞれの置かれた立場や苦難は、それぞれの人生の中で起こった課題だからです。
 
それぞれが、それを乗り越えようと前に進むことで自然と力が合わさるんだと思います。
 
そして、その力がみんなが願う未来へと近づけていくのだと思います。
 
思いや想いが違えど次女を何とかしてあげたい、幸せになって欲しいと願う気持ちは同じなのですからね。
 
次女は小さいながらも弱音一つ吐かずに現実と向き合い続けました。
 
そんな中で多くの人に助けられて、人を信頼する心が育ちました。
 
本当の優しさを持った人を見極める力を備えました。
 
感謝する心や人に頼る勇気を持つことが出来ました。
 
長女は苦しい時に笑って元気に乗り越える力を備えました。
 
自分のことは自分で考え、自分で道を開く力を得ることが出来ました。
 
嫁は今を楽しむことの大切さを知り、今を生きる心を得ることが出来ました。
 
私は闘病中の人に必要なことは何なのかを知ることが出来ました。
 
人間の体の仕組みに気づくことが出来ました。
 
それを闘病中の人に役立てる力を得ることが出来ました。
 
今だから思えることですが
 
人は苦しい時ほど自立心が育ち、生きる力や知恵、勇気を備えているんだと思います。
 
一つの出来事であり、それぞれに与えられた課題
 
次女の難病発症は、それぞれの自立心に繋がったのだと思います。
 
難病克服支援センター
http://kokufuku.jp/