2011年3月11日

 

 

 

長女は中学3年生

次女 は小学1年生でした。

 

現在は長女27歳 社会人7年目

次女19歳 大学一年生

 

 

長女は、卒業祝う会の準備で学校から横浜に買い出しに。

クラスメイトと買い出し途中に震災に遭いました。

 

次女は、学校から帰宅中の横浜駅ホームで。

ホームにいた事はあとから知るのですが。

 

 

 

娘達は電車通学。

長女は電車が止まり、学校に戻れずにそのまま

横浜駅から海側をあるいて元町自宅に帰宅。学校にいた生徒は帰宅できずに学校に宿泊しました。

 

 

 

次女は、どこにいるか分からずに

私はスタジオにいるお客様をお返ししたあとに

逆算すると多分横浜駅辺りだろうと

元町から関内、桜木町、横浜駅まで

どこにいるかわからない次女を探すために

歩いていました。

 

 

 

 

元町から横浜駅まで60分歩いて

着いた横浜駅は、既に電車は止まり、

中央改札口全てにブルーシートが敷かれ

帰宅できない人達で溢れかえっていて。

 

 

 

初めて見る光景に

恐怖でした。

 

 

この人混みに1年生の娘がいるの?

駅員さんに特徴を話して聞き周り

ながら探しました。

 

 

 

女性駅員さんは、親身になり探してくださいました。

あとから聞いた話、その方のお子様も連絡がつかなくて、でも、駅員として業務に徹していらっしゃいました。

 

 

 

たまたま構内放送で

私の名前が!娘さんが待ってます。

駅長室に待機しているので迎えに来てくださいと。

 

 

娘は、怖くて泣いているところを

たまたまそばにいた、同じ1貫校の大学生の女の子が、

駅長室まで連れて行ってくれていました。

 

 

ずっと娘のそばにいてくれました。

その子大学生の女の子は、娘を元気づけてくれている間に電車が動かなくなって

お父さんに電話をかけていました。

 

 

 

名前も学部も教えてくれず

お父さんのお迎えを待っていました。

その場にいた、婦警さんもお子様がいま、どこにいるか分からないと話されていました。

 

 

 

たくさんの方に助けていただき

大混乱の中、次女と無事に会うことができました。

 

 

 

長女の中学卒業式も、

卒業生を祝う会も、自粛で中止。

一貫校ですが、なんとも寂しかった中学最後の思いが残ります。

 

 



たくさんの災害がたたみかけてきますが

今、思うこと、

いつも、思うこと、

たくさんの人に支えられて

生きてる、生かせていただいていることに

感謝しかない。

 

 

人のためになる生き方をしていきたい。

今いることが、当たり前ではないこと。

 

 

 

28年前阪神・淡路大震災の日、

長女の妊娠がわかった日

東日本大震災3.11も、感謝の気持ちを忘れないようにしたい。

 

 

コロナもそう・・・

 

 

どんな世の中になっても

大切な想い、感謝の気持ちは忘れないようにしたいです。



被災された皆様を心からお悔やみ申し上げるとともに、

被災地の皆様の心の復興を、深く願います。

 

 

あの時に娘に寄り添ってくれた大学生の女性・・

元気かな・・・

素敵なお嬢さんでしたから、きっと幸せになっていると思います

 

 

 写真は、今朝の日の出

自宅マンションから


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