「東日本大震災」により、亡くなられた方々のご冥福を
お祈り申し上げますとともに、被災された皆様に心からお見舞い
申し上げます。
そして、被災地で懸命に救援活動をされている方々に敬意と
エールを送ります。



トムは、大学が埼玉にあったので4年間、埼玉で暮らしていた。
大学1年の「夏の16日間」を、今、記憶を少しずつ、少しずつ、
辿っている。

それは初夏休みの思い出、若き頃の。
旅研究サークルに入部していた、「旅研」。
私はアパートの同棟に住む出身地が同じ横浜で意気投合し、
仲良くなった同輩N君に誘われるまま入部したのが旅研。

同輩のN君が、
N「俺はこの夏、四国一周を愛車で周る。トムはどうする?」
T「それじゃあ、僕は周遊券を使って東北一周にしよう」
N「トムもバイクで周ればいいじゃん」
T「僕はバイクでそんな遠出したことないし、事故ったら
親に顔向けできないし…」(完全逃げ腰、笑)
N「まったくもぅ、お坊ちゃまだなトムは!」
T「…、分かったよ。僕もバイクで東北周るよ」
(お坊ちゃま!?だが、負けず嫌い、笑)
N「よし!それじゃお互い、いろんなこと経験して旅報告、
楽しみにしようぜぇ! 俺は西へ、トムは北へだな、わっははっ」

因みに、N君は現役合格組、一浪組のトムより一つ年下…、トムって(笑)
N君こそ見た目はお坊ちゃまなのだが、彼は豪快なヤツだった。
本当か確認したことはないが、N曰く「先祖は五島列島の領主じゃ」
豪快な男だった。彼は一年もしない内に旅研を退部し、
「地球の歩き方」的新サークルを設立して、彼の旅舞台は世界へとなった。
トムは4年間旅研に在籍し、男としても強くなり!?多くの後輩に慕われる幹部になった。(ほんとかな、笑)

僕たちがバイクと呼んでいたのは、「50cc」。
そう車種は違うがお互い「原付バイク」なのだった。(笑)
僕たちは、北へ、西へと「50ccバイク」で遠出をする、
つまり、一般道しか走れない。とんでもない旅の始まり…。
若さ故できた、無謀的一人旅へと出発した。

何故、トムが「東北一周」を選んだかはわけがある。
一つは、もう一つ在籍していたサークルの先輩たちの中に、
実家が「山形、秋田、青森、岩手、宮城、福島」に複数いて、
同輩のS君が栃木の旅館の息子だったから。
そう、先輩たちの実家(&同輩は旅館だし、笑)を宿とする、
それも半分は女性の先輩で、中には一人娘で箱入り娘。
如何にも無謀な設定である(よく泊めてくれたと今でも思う)。
それは「宿泊費“ZERO~作戦”旅」でもあった。
もちろん手土産は持っていたけど。若くなきゃできない
(えっ、若くてもできないって。笑)

実母が山形出身。親戚が2件あり、そちらにもお世話になった。
「母の育った故郷の空気と景色を体感する」
これが、東北一周を選んだもう一つの理由。

16日間、無事故でトムは埼玉に戻った。
この16日間、トムは東北の温かい、温かい人々にずっと見守られて
素敵な旅時間を過ごすことができたのだ。

先輩の実家で、それぞれ先輩のご家族一緒に夕飯~朝食まで過ごす。
それぞれ違った受け入れ方だけれど、皆、温かくトムを受け入れて、
家庭料理(地元の。例えば秋田ではきりたんぽ鍋)、風呂、布団、
お酒等々、全て用意して待ってくれていた、どこも。

ほとんどの場合、朝出掛ける前に集合写真を撮って、そしてお昼弁当
をトムに手渡す(もちろん、頼んでいたものではない)。
どこまで親切なんだろう。すごく嬉しかった。
1泊なのに、送ってくれる時、泣いちゃう女性先輩もいた。
T先輩とは赤提灯のお店にも行って、初めて会った地元のおじさん、
おばさんとも酒を飲み交わし、彼らが方言で話すのをトムが全く分からないのを、すごく喜んでくれた。温かい人たちだった。

2泊していきなさい」とトムを引き止めてくれたO先輩(男性)は、
同サークルの先輩の先輩(女性4年生)が近所に住んでいるので、
連絡をとってくれ、翌日3人でドライブして観光地を回り、ボーリング
にも行った。楽しかったなあ。
O先輩がトムに言った「あんなに嬉しそうなK先輩の顔を初めて観た。
俺にはしてくれない。トムには何であんなに優しいんだ! だって、
俺、K先輩とプライベートで一緒したの、今回が初めてなんだ」
すごく嬉しかった。だって、K先輩はとっても綺麗で才女で明るい人。

親戚の家では、案内してくれたその親戚の果樹園で食べた、果実の
美味しかったこと。
母の故郷の空気、景色をたくさん心に納めてきた。一つは都会、
一つは田舎。
皆、みんな、歓迎してくれた。温かかった。優しかった。

埼玉に住んでいたトムは、国道4号線を北上して東北への50cc
バイク旅は、埼玉→栃木→福島→宮城→岩手→青森と巡る(別道で
秋田、山形にも周る)。

旅の記憶を辿っていって、先輩の家族、観光地で会った人々、
親戚、東北の人たちの温かさと親切さと優しさの人情と…。
その一場面、一場面が、今、鮮明に甦ってきている。


3月11日から、ニュースで地名が流れるたびに、
「東北一周旅」で出合った地名の数々、
「気仙沼」「松島」「牡鹿半島」は、この旅で知り合った人の
思い出多い地だ。
胸が潰れる思いだ。
あの温かくトムを迎えてくれた人々。
旅先だけでの出会いだけれど、よき思い出を残してくれた人たち。
本当に東北の人々は温かかった。優しかった。
一人、ひとりの顔が思い出される。
どうぞ、ご無事であってほしいと。

たとえ無事であっても、この甚大な被災での被害を包んで、
これから復興していかねばならない。

トムも、この大きな、大きな国難を、危機を、
できることを、一つ、ひとつ、確実にして、
2011年からの日本を、誇りを持って生きていきたい。
諦めない。道はきっとある。


余談:
そうそう、
福島で、初体験があった。

大雨の中、福島の大きな交差点で、
右折したトムのバイク、
福島県警のパトカーがサイレンを鳴らして
50ccバイクを交差点横に止めさせた。
「交差点右折違反」

生まれて初めて切符を切られた。
自分が悪いのだけれど、16日間で唯一の痛い思い出。
でも、今ではそれもいい思い出の一つである。