あの悪夢の「3.11 東日本大震災」が発生してから今日で丸9年が経ちました。

もう9年も経ってしまったと感じるか、まだ9年しか経っていないのかと感じるかは人それぞれだと思います。


あの日、あの瞬間、僕は今まで経験したことのない大きな揺れを感じ、恐怖に慄きました。



毎年この日のブログは同じ内容を書くことにしています。いつまでも忘れないために。

以下は大地震発生当日の僕のブログの転載です。



『先ほど発生した三陸沖の大地震で茨城県も激しい揺れが起こりました。

我が町の震度は6強。(注)

その約30分後には茨城沖を震源とする大きな地震も発生したということで、ダブルパンチの被害が出ました。

自宅の部屋の中はメチャクチャです。

こんな揺れは生まれて初めてで、現在も大小の余震が断続的に続いています。

屋根瓦が落ちたり、ブロック塀が倒壊したり、民家火災も発生しました。

県内の殆どの地域で停電中です。』


(注=のちに6弱に訂正)




そして続いて大地震発生翌日の僕のブログの転載です。



『断続的な大小の余震と、携帯からたびたび鳴る緊急地震速報の警報ブザーに怯えながら一夜を明かしました。

長かった停電が復旧し、情報源をそれまでの災害用ラジオからテレビに替えた途端、僕の目に言葉に言い表せない凄惨な状況が飛び込んで来ました。

我が国の観測史上最大のM8.8(注)の大地震で、これは阪神淡路の大地震の180倍のエネルギーだとか。

お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りすると共に、負傷された方々、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。


茨城の僕の自宅も始めは小さな横揺れだったのが、次第に大きな揺れになって来て、しまいには部屋全体がねじ曲がるのではないかというような激しい揺れになりました。

1分間前後の揺れだったでしょうか?とても長い時間に感じられました。

これまでに経験したことの無い恐怖を味わいました。

僕の住んでいるマンションの外壁には、あちこちに大きな亀裂が入りました。』


(注=のちにM9.0に訂正)



あの時の恐怖は生涯忘れることはないでしょう。


加えてそれに付随して発生した福島の原発事故、そして風評被害・・・。


東北3県はもちろんのこと、茨城県、千葉県を含め、未だ行方不明の方や、現在も避難生活を余儀なくされている方がまだまだ大勢いらっしゃいます。


この大災害に関して僕自身、思うこと、言いたいことは未だにたくさんありますが、それは敢えて申さず、まずは改めてお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、まだまだいらっしゃる行方不明の方々の一日も早い手掛かりの発見を願い、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。


一日も早い復興を!





(今日の天気:晴れ一時曇り、夜一時雷雨)