今年の芥川賞受賞者の田中氏は一躍話題の人になった。

インタビューの時には、酔っ払いながら、芥川賞を

「もらっといてやる!」などという大層なご発言。


誰しも田中氏に興味を持ったことだろう。



そして翌日の新聞を読んで私はより彼の経歴に驚く。



田中氏は高校卒業後、ずっとニート状態。

小説は20歳から書き始め、一日も休み無く書いているという。


彼は4歳で父を亡くした。

地元の工業高校では新聞部にいて、常に本を持ち歩き

時間があれば本を読み

そして高校卒業後も就職はせず、

アルバイトさえしたことがない。


そんな彼を支えたのは、婦人服の販売で彼をずっと養った母だ。


この母がいなければ、

田中氏はニート状態で小説など書いてはいられない。


ましてや母子家庭なのだから、

普通世間一般では、せめてアルバイトでもしながら

小説家を目指せと言う事だろう。


社会経験を薦めるのが、世の親ではなかろうか?


しかし、田中氏の母は、人付き合いが苦手な息子に対して

働けとは言わなかった。


心配はしたけれど、どこへ行っても鉛筆を握って

一日も書くことを休まない息子を

静かに見守り続けた。


(到底、私には出来ない・・・)私の感想。


私など医学科を目指す息子が三浪になった時、

いい加減、諦めて普通の入れる大学へ入って

浪人生の母を一日も早く切り上げたいと思ったものだ。


とても、何浪してもいいよ、

いつまでも自分の思った道を行きなさい

とは言えなかったし、思えなかった未熟な母だ。



ましてや、小説家などという職業はいつなん時

世間に認められるか分からない。

もしかしたら、一生日の目を見ることなく生涯を終える可能性だってある。


しかしそんな息子をずっと支え続けたのだ、この母は。

約20年という年月を!


才能というのは、その事がまるで空気を吸うかの如く

続けられる事を指す。


田中氏の場合はそれが、小説を書くという事なのだ。


世にいつ認められるか分からず、

それでも書くことをやめられない。


そして、そんな息子の才能をひたすら認め支え続けた母。



この母なくして、田中氏の才能が花開く事はなかっただろう。



彼は、書くという労力を他の事で煩わせる事なく

ひたすら一つの事に没頭出来たのは、

経済的にひた向きに彼を支えた

この母の御蔭。



『世の中を敵に回しても味方になる』

言うのは簡単だが

実際に行うとなると、どんなに大変な事であろう!



しかし、田中氏の母は、まさにこの言葉のフレーズを

自ら実践した人だ。



社会というのは、

利益を生まないニートには冷たい視線を浴びせる。


いくら、息子が懸命に小説を書いている姿を

母として見ていたとしても、

他人には、そう容易く言える事ではない。


もしかしたら「いい加減にしなさい。」位は思ったとしても

誰も咎めたりはしないだろう。


しかし、この母は息子の才能がいつ芽吹くかもわからずとも

小説を書くこと以外はあえて勧めず、ひたすら見守ったのだ。


まさに、


世の中の荒波から息子をずっと守り続けた母。


私は、この母の偉大な無償の愛に感動を覚える。



「(芥川賞を)もらっといてやる!。」


たぶん、彼は賞など貰っても貰わなくても

毎日ずっと書き続ける。




しかし、田中氏は今までずっと自分を支えてくれた母の為に

この賞を貰いたかったのではなかろうか。



人づきあいが苦手であり、

ニートという世間の冷たい視線から

自分をひたすら守り続けてくれた母の為に。



無名でニートであった息子から

この賞を受賞すれば、一躍世間の目は

芥川賞受賞した息子を持つ母へと変貌する。



5度目のノミネートでやっと芥川賞をいう快挙を

唯一母へ捧げたかったに違いない。



田中氏の本との出会いは母の読み聞かせから。



そしてそれは物心つく前から39歳の今までずっと

「読まない日はない」という。



この母は息子に言葉を授け、言葉を手渡し、言葉に命を宿した。


そして、息子を芥川賞作家へと導いたのだ。





ああ、私はまた、


素晴らしい母と出会ってしまった・・。