アイコンママブロネタ「カラダ&ココロ」からの投稿


夫が先日、
日本のノーベル賞受賞に対していきなりこう。

「ノーベル賞ってけっこう運もあるらしいな。
たいてい、どの発見も失敗からだって言うしな。」


それを聞いて、思わず
運ってなんだろう?と考えてみる。

研究者達は日夜、
何千回、何万回と繰り返すという実験。


昔、親に読まされたマリ・キュリー女史。

彼女は女性にして二度もノーベル賞を受賞した人だが
その伝記を読む時、壮絶な努力からの結果だとわかる。

研究を続けた実験場は
暖房もない倉庫に近い粗末な場所で
訪問したある学者は
「ジャガイモ倉庫と家畜小屋を足して2で割ったような」
と例える程だったという。

その粗末な実験場で寒さや暑さに耐え
何千、何万回もの苦労を
重ねた結果に発見されたものがラジウム。


それを知る時、とてもノーベル賞が
運だけで受賞できるものだとは思えない。

長く果てしない努力が根底にあって、
たまたま努力の途中に
普通とは違うことをしてみたら、
それが実は大発見だったという
ことなのだから。


そんな偉人達の人生を伝記で垣間見る時
人生を成功させるには究極、
『諦めない』忍耐と『やり遂げる』努力という結果。


研究を何千、何万回も出来る
忍耐と努力という前において
普通の人は大抵投げ出すか諦めるか。


そう思うと
『忍耐』と『努力』は当たり前の事のようで
実は人を偉大にする最大の要素。


そしてもう一つ。

人が物事を諦めてしまう時には
その結果を何かのせいにしてしまいがち。

しかし何事においても、
自分のせい、自己責任と心に決めて
言い訳をしないことは向上心に繋がる。


夫と結婚するとき、義母は私にこう。

「私は夫にたいして
一度も口答えをしたことがないの。
言い訳が一番嫌いな人だったから。」


二十代前半でその言葉を聞いた時には内心
(ひぇ~)
であった。

昔の人だからとか時代が違うからとか
東北人特有のおしん精神なのかとも思えた。

しかしこの年齢を重ね、
人生の経験をも重ねてくると
その言葉の真実が見えてくる。


人は言い訳したり、
何事も人のせいにするとき
そこには向上心が育たない。


何事も自分の自己責任だと思うからこそ
そこからどう立ち上がろうかと
紆余曲折を重ねるし
努力も忍耐もついてくる。


だから、子供の人生であろうとも
最後の進路は子供にきめさせるべきだと
私は思っている。


たとえどんな人生や職業であっても
必ず多かれ少なかれ試練はつきもの。

その時の乗り越え方は人それぞれだが
その時に人のせいにせず、自分の努力や
忍耐が足りないと思えるかどうか?


そして最後にもう一つ。

運には必ずだれか他人が介在するということ。

運が味方するというのは人が味方してくれることに
他ならない。


だからこそ
入試の失敗だけは、
“運命”のせいにするのは間違いなのだ。


それは他者が介在していないから。

そう考える時、
受験はまさしく人の人格を鍛える。

入試の結果も人生も
すべては自己責任だと思う時

そこから
人生の運が味方してくれるように
私には思える。


実はコレ
自分の弱さが見えた時に
いいきかせていること。

『運も実力のウチ』の正体は
忍耐、努力、自己責任・・・。


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