アイコンママブロネタ「ママ友のこと」からの投稿



読者様より。ハート


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受験期のママ友ってどう思いますか?

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ママ友という前にまずは、とはなんだろう?

友というと思い出すのが 『赤毛のアン』。

グリン・ゲイブルスで暮らすことになったアンは、

「腹心の友ができるだろうか?」とマリラに質問する。

「心の奥底をうちあけられる本当の仲間よ。
いままでずっと、そういう友達にめぐり会うことを
夢見てきたの」


ココで言う腹心の友とは親友のこと。


心の奥底を打ち明けられる友でなおかつ、
相手の幸せを心から喜び合えるのが
たぶん親友の定義

しかし、友、にママが付くとちょっと事情は
違ってくる。


ママ友とは、母になって
たまたま同じ年令の子供を持つ親同士で
顔見知りになり
そのうち親密度が増すと互いの家に呼んだり、
呼ばれたりする仲のこと。


私もそれなりのお付き合いはあったが、
残念ながら、腹心の友なる母とは
ついぞ出会えなかった。


たぶんそこには、
嫌でも感じてしまう
お互いの比較があったからだ。


特に子供が同い年、同じ幼稚園や学校と
置かれた状況が似ていれば
なおさら比較しやすく、複雑で
デリケートな感情を孕んでしまいがち。


更にそこに受験という選別が加われば、
嫌でも相手の事を意識してしまうのは
人情で
同じ学校を目指している事がわかれば、
なおさら。


だからその時期、皆受験校は極秘にし、
お互い聞かないのが
暗黙の了解となるのは常識。


それでもたまに
その禁を犯してしまう母もいて、
そういう母には
内心ドン引きしつつも
笑顔でかわすのは大人のマナー。


たまに偶然、
願書提出の際に出くわしたりして、
嫌でも相手の手の内を知ってしまい
こちらも手の内を明かしてしまうと、
今度は気になるのが当然その結果。


私など、敗れた事のみ多かりきだったので、
その時はつくづく志望校に合格したお子様の母が
羨ましく眩しかったものだった。


娘が生まれたちょうどその頃、
皇太子妃、雅子様の結婚で
日本中が沸いた。


お妃候補、雅子様の経歴が
毎日のようにテレビで流れ、
外務省のエリート家庭に育ち、
ハーバード大学と東大を卒業し、自らも
外務省に勤めるという経歴
を拝見した時、

そこに一点の曇りもない
育ちと経歴をお持ちの方

いらっしゃることに
ひたすら感心したものだった。

皇太子妃というのは
このような方だからこそ
なれるものなのだと。

そして娘も少しでも肖れるよう、
新聞に掲載された雅子様の写真を
娘のアルバムに貼ったものだった。


あの時はいったい誰が
その後の
雅子様を想像できたであろうか・・?


あれから数十年。

今子育てを終えてみると、
その時の羨ましかった感情は
いつしか消え


そして、あの頃、
一緒に同じ学校を目指していたお子様達は
それぞれの道へ進んだ。

時を経て私は思う。

どんなに羨ましいと思えるような
環境の人でさえ、
そこには同じような悩みや苦しみ
人生の試練として必ずあるのだと。

だから、今,受験で
目先の事しか見えないような時、
ライバルが眩しく見える時こそ、
心してほしい。


一見、すべてに恵まれているかのように
見える人の人生にも
必ず何らかの試練
与えられているものなのだと。


そしてどんな人でも
いつかはこの世を去る。

人は一人で生まれ、
やがて一人でこの世を去る運命。


その儚さを思う時、
どんな人との出会いも縁なのだと
今は思える。


人生のライバルも
同じ人間であり
儚いいきものなのだと。


何から何まで幸せなんて人は
たぶん一人もいない。


なぜなら、この世は

試練を克服する為の学びの場だから。

そしてどんな人にもその人にしかできない

使命があるはずだから。

ママ友というライバルは
実は子育ての同士だったのかもしれないと

今では懐かしく思う・・・。

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