アイコンママブロネタ「仕事&夢」からの投稿



TVをつけたら、
スーパードクターの番組。


今の時代、神の手を持つ医師と聞いても
あまり驚かなくなったが
なにげなく聞こえてきたTVの音に

私は一瞬釘付けに。

「僕はべつに
エリートとかサラブレッドじゃなかったんで
逆に失うものは何もなかったんですよ。
どうせ失敗してきた人生だから、
それを恐れるより
自分でやりたい事とか
目指すものにチャレンジしようと。」



そう話すのは木原俊壱医師

医師は最初から志した道ではなかったという。


1960年福岡県で、医者とは無縁の家庭に生まれた。


幼い頃から手先が器用で工作が得意。

アイデア少年で
表現することが大好きで、映画監督をめざす。

しかし日大芸術学部の試験に三度失敗。

父親から夢を追うなら自分で稼げと宣告される。

高校卒業して三浪もして
何も資格がない自分になにが出来るのか?


予備校の同級生に相談したら、
医学部にいって医師免許を取ったら
映画監督を目指せるのではないか?と提案され、
三浪目に日大芸術学部に落ち
同時に受けた

佐賀大学医学部医学科に入学。


医師になりお金を稼いで
映画監督になる事が目標であったため、
大学にこだわりはなかった。

とにかく合格出来る大学を探そうと。

短期間で合格出来る医学科となると
二次試験が面接と小論文だけの
当時共通一次の配点が高い佐賀大学医学科を受験。


ここなら
共通一次だけを頑張ればなんとかなると思い

見事合格

その際、勉強したのが
「20日間で共通1次対策を完成させる」
といった内容の問題集を購入。

約1カ月間、その問題集だけに集中して取り組んだ。

木原医師はその時の試験の事を以下のように語る。


「とくに意識したのは、 
自分なりの時間配分の戦略を構築することです。

共通1次では短時間で
どれだけ多くの問題を
正解するかがカギを握ります。


本番で無駄に時間を費やさないことが
重要なポイントになるわけです。

たとえば2つの選択肢で迷ったとき、

私は「最初に直観した解答」の方が、
「後から思い直して、迷った解答」よりも
正解のケースが多かったので、
本番では直感にしたがうことに決めていました。


「自分が正解できるパターン」を自己分析し
「時間をかけても正解に結びつかない問題」と
「考えれば正解が分かる問題」も仕分けしました。


本番で前者のタイプの問題が出たら、
ある意味では捨ててしまい、
山勘でとりあえず解答を選ぶだけにして、
その分、じっくり考えれば正解できる問題に
時間をかけるようにしました。


こうした戦略によって、

1000点満点で880点の得点をあげることができました。

私の長男は現在、医学部をめざして浪人中ですが、
彼によくアドバイスするのは、

医師をめざすのなら、
大学のブランド名に
こだわる必要はないということです。」
 


以前在籍していた大津市民病院は、
京大の関連病院で、
京大の医局から派遣された医師しか
ポストがないのが伝統であったという木原医師。


そのため、最初の1年間は無給の待遇で勤務。

アメリカ留学中の35歳のとき、

K-methodを開発した。

当時の多くの脊椎脊髄手術が、
手術後1週間は点滴だけで
ベッドで過ごさないといけないのに対し

木原医師の患者は
高齢者でも手術の翌日から歩き回ることができる。

その様子がが口コミで広がり、
どんどん依頼が増えていき、
半年後には病院内で最も多くの患者さんを抱える状態で、

昨年開業した病院は
三年先まで予約でいっぱいな状態だ。


「一人の外科医の腕自慢だけで、
K-methodを終わらせたくない。


他の病院で見放された人でも、
私の技術があれば
救えるという自負を持っており、
それがやりがいにつながっています。


すでに、手術例は5000件を超えており、
今後は自ら手術を務めるだけでなく、
若い後継者を育成し、

彼らが活躍できるような環境を整える仕事にも
力を入れたいと考えています。」
 

と語る木原医師。


最近の医学部ブームに対しても
外科医はまだ不足していて、
外科医は他の診療以上に体力、集中力が要求されるが

オンとオフの使いわけができれば
まったく問題はないという。


一日病院に拘束されて多忙をきわめている医師を
高く評価する傾向があるが、

自分は絶対に疲れた表情をみせず、
どんな大変な手術でも淡々とこなしている姿を
後輩にみせつけ
カッコイイ医師をめざし、
そういう外科医になりたいという夢を与えたいと語る。

その言葉どうり、TVで拝見するその姿は、
とても明るく、颯爽としていた木原医師。


スグルも幼い時から手先が器用で、
どこに行くにも折り紙を手放さなかった。


幼稚園の頃、二十面体や三十六面体などを折り、
今でも、ガムや飴の包み紙で
鶴を折ったりする。

それを電車で乗り合わせた外国人がみて、
非常にびっくりして欲しがったという
エピソードの持ち主。

工作も好きで、この子は将来、
工学部にいくだろうと私の予測に反しての

今の道。

たとえ、サラブレッドやエリート家庭に生まれなくとも、
自分の努力次第では
スーパードクタ-にもなれるのだと。


私は木原医師の冒頭の言葉
何度もココロの中で反芻した。

「エリートじゃないからこそ
失うものは何もない・・・。」
  

「失敗を恐れるより
自分でやりたい事とか
目指すものにチャレンジする・・・。」


人生には大変な事がある分だけ
思い出は濃くなり


深くなるのだと思いながら・・・・。

ラブレターお読み頂きましたらコチラをポチひらめき電球
    ↓         ↓
にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(本人・親)へ
 ❤CLICKありがとうございます❤


リボン 本日コラムニスト 第5位♪